2002年4月のプチ日記

4月30日(火曜) 夜

 ベルジウム(Belgium)ってなんのことだと思ってたら、ベルギーのことですか。なーんだ。

 だったらカドミウムはカドミー。イタイイタイ病とか起こすくせにかわいいじゃないか。

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 最近、アパートの部屋が妙に暑い。まだ5月にもなってないのに。

 実は思い当たるところがある。ぼくの部屋は5階建てアパートの最上階にあるのだが、階段をのぼるにつれて暑くなってくるんである。夏場も涼しく過ごせるようにと思って5階を選んだのにどういうことだ!?

 たとえば登山でも、標高がたかくなるほど気温は低くなる。ぼくのアパートは自然の摂理に反しているのか。

 …と気になって調べてみたところ、気温の低下は1000mで6℃とのこと。ってことは、我が家を標高15mとすると0.09℃下がってしかるべきじゃないか! というか0.09℃しか下がらないのか!

 おまけに最上階は、天井から太陽熱を吸収するので暑くなるらしい。

 ああ、厳しい冬の寒さをやっと乗りきったと思ってたのに…。こんなはずじゃなかった。

 

4月29日(月曜) 夜

 ぼくはチック持ちなので難儀することが多い。

 チックというのは意味なく首をかしげたり、咳払いしたりしてしまう例のヤツである(ビートたけしの肩すくめが有名ですな)。ぼくの場合これが、腕を微妙に動かすという行為に現れることが多い。普段はそんなに目立たないからいいのだが、時と場合によってはエラいことになる。

 たとえば宴会などでコップになみなみとビールを注がれたとき。ふつうなら「おっとっと…」なんつって飲み干す場面だが、ここでチックが出ると腕が動いてしまうんである。当然ながらビールはこぼれ、周囲からいっせいに異様な視線を浴びることになる。

 「なみなみとビールが入ったコップを持ったまま、微妙に腕を動かしてこぼす」

 これではただの莫迦でなはいか。心底情けない気分にさせられる一瞬である。

 チックはある程度自分でコントロールできるものの、基本的には不随意運動。ちょっと気を抜くと惨事を招くので、普段からスリリングな生活を送っているわけです。うらやましいですか?

 だが中には、チック症状が音声に現れる人もいるらしい。その最たるものがトゥレット症候群と呼ばれる汚言チックで、会話の途中に突然、卑猥な単語を口走ってしまうというのである。

 たとえば会社で電話をとったりしたら、どういうことになるんだろう。

「いつもお世話になっております。先日のご契約、本当にありがとうございました。SEX! えー、実はその件なんですが、当方に不備がございまして…SEX!、あと1日の猶予をいただけないでしょうか。もちろん、クンニが〜」

 なんだか、とても詩的な会話であるような気がしてきました。いいじゃないですか。

 

4月28日(日曜) 夜

 昨夜は飲みに行ってたので更新できず。それはさておき。

 この前、知人から「表情筋を動かしてないと顔の老化が早くなる」という話を聞いた。

 ずっと無表情なまま暮らしていると顔面の筋肉が衰え、肌がたるみやすくなる。これを防ぐためにも、普段から表情筋トレーニング(意識して表情を作る)を心がけるのがいいというのだ。

 言われてみれば、ぼくなどはほとんどいつも無表情である。会社では黙々とデスクワークの日々だし、休日もあまり人と会わないので笑ったり怒ったりということがない。ずっとポカーンとした顔で暮らしている、と自信を持って断言できる。

 というわけで最近、表情筋トレーニングを実践しているわけです。休日に一人で部屋にいるときは気が向けばニコッ。会社でもトイレに行ったときにこっそりニコッ。よーし、これでますますヤングになりますぞ!!

 …と一人で勢いづいていたんですが。

 先日いつものように、会社のトイレで表情筋トレーニングに励んでいたら、とつぜん上司が入ってきたので驚いた。放尿しながら満面の笑みを浮かべているぼくを見て、ただ茫然と立ち尽くす上司。そして怯えるような眼つき。うわー。

 きっと今ごろ、職場で噂されてるに違いありません。「名倉さんっていつも暗い顔で仕事してるけど、トイレでは一人で満面の笑顔を浮かべてるらしいんだよ」「うわーマジ!? でもなんか分かる気がする」なんつって。

 なんだかマズいことになってきました。

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 さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京らくがき」。ちかごろ街にあふれつつあるスプレー落書きをレポートしてみました。描いてる本人はバスキア気分なんだろうけれど、端から見てるとショボさ加減がたまりません。おもしろいからもっとやれ。

 よろしければご覧ください。ショボさ加減がたまらないのはぼくのコラムも同じですか。

 

4月26日(金曜) 深夜

 小説を読んでると「一人称(私やオレなど)で書かれる主人公が死ぬ」というオチをたまに見かける。

 架空の話なんだから、いくら人が死んだってちっとも構わないのだが、その描写が気になりだすと止まらなくなる。

 たとえば次のような文面があるとしよう。

私はなおも走り続けた。

そのとき突然、左胸に熱い痛みをおぼえた。生暖かい感触が皮膚を覆いつくし、気がつけばあたり一面が赤く染まっている。ポン助の銃弾が私の胸を貫いたのだ。

遠くなる意識の中、私の脳裏には、さまざまな映像が万華鏡のように浮かび続けた。ポン助の哀しげな笑顔、燦然と輝くシャンデリア、赫奕たる太陽の光…。それらはまるで、陽炎に揺れる遠い風景のように、眼前を通り過ぎていった。

そして私は静かに息を引きとった。

 しばし待ちんしゃい。

 銃弾を受けて死にかけてるヤツがこんなことを思うのか!? 「万華鏡のように」だの「まるで陽炎に揺れる遠い風景のように」だの、存分に隠喩を駆使しつつ考えるものなのか!? おまけに「燦然」とか「赫奕」とか、精一杯がんばってる感のボキャブラリー。

 ぼくは死んだことがないのでよく分からないが、瀕死状態の人はこんな悠長なことなど考えてないような気がする。リアリティを目指すなら、「ウワッ! わー、あああ、血、血、あーあー、うわああ、おわー!!」とか書いたほうがいいと思います。

 それがモッサイというなら、「一ページ丸ごと空白」とかにしてはどうか。落丁の苦情と闘う心理描写。 

 そういや、ロレンス・スターンの珍小説『トリストラム・シャンディ』にも似たようなページがありました。

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 上記の引用部分。「そりゃ作家の技量不足だろ」という指摘はご容赦ください。ぼくが勝手に創案した文章なので。

 あと、ぼくには小説などぜったい書けないな、と改めて痛感しました。はい。

 

4月25日(木曜) 夜

 今度の連休にアメリカ旅行に出かける友人が訊ねてきた。

 「アメリカ人の知人に気の利いた日本みやげを渡したいんだけど何がいいと思う?」

 ぼくは電気炊飯器と答えておきました。"It's a Japanese heater"とか言って、リビングの暖房として使わせるのである。

 空焚きの炊飯器を囲んで、"We're Ninja style!!" "Oh, very hot!!" と興奮する米国人ファミリー。

 必殺忍法、炊飯器で暖をとるの術。 こんなのんきな忍者がいたら見てみたい。

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 そういや学生時代、友達と飲んでて話題につまると「横文字禁止ゲーム」をよくやったのを思い出す。

 「会話に外来語を使っちゃダメ」という例のヤツである。うっかり横文字を口にすると、「ビールを飲み干す」とか「みんなからシッペされる」とかいう罰ゲームが待っていた(ぼくにとってはビール飲むのはちっとも罰じゃなかったけど)。

 それでみんな、ライターのことを「着火装置」と言ったり、テレビのことを「テレビ電波送受信機」なんてってアウトになったりしていたわけです。

 そのうちぼくも、「リンゴ」と言ったあとにハッとした。あ、これって英語!?

 だがすぐに、リンゴは日本語であることに気がついた。ふう。

 以下、その後の会話。

ぼく:「リンゴって日本語やしOKやん」
相手:「あ、いまOKって言うたな!」

 こうして2人ともアウトになってしまったのでした。今思い返しても、つくづく阿呆だなァと思う。

 

4月24日(水曜) 夜

 先日テレビを見てたら、「東海大地震が起きたら」という特集をやっていた。

 で、レポーターが現地住民の声を聞いてまわってたんですが。

レポーター:「もし大地震が起こって交通機関がマヒしたらどうですか?」
現地住民:「困りますねえ」

 そりゃ確かに困るだろうけど、こういう返答ってあえて放映するほどの意見なんだろうか。

「もし自分がエイズだと分かったらどうですか?」
「困りますねえ」

「もしあなたの娘さんが強姦致死の被害に遭ったらどうですか?」
「困りますねえ」

 人はいろんなことで困るから困ったものだ。

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 ところで、こういうことをすると漢字が妙な代物に思えてきますな。

因困因
困因困
因困因

 表裏が「困」と「因」のオセロゲームを作ったら、見難くてイライラするので楽しそうです。

 「困」が圧勝しても、パッとしない感満点。

 

4月23日(火曜) 夜

 近所に無国籍料理の店があるんですが。

 「すっぽん」は読めても、その後がてんで分からない。この店の前を通るたびに、なんて名前なのか気になって心は千々に乱れ、心悸は亢進し、手足は震え、おまけに腹まで空いてきてパニックに陥ってしまうわけです。

 なんとか解読しようと躍起になるも、そのたびに無力感に打ちのめされ、我が浅学さ無能さを呪い、人生の無常さを知らしめられる。通りすがりの者の心を絶望のどん底に突き落とす地獄の小料理屋。「すっぽん」の字は読めるのに…。

 ひょっとすると店名の文字も「無国籍」なんだろうか。無国籍文字。こんなの誰も読めません。

 無国籍料理と謳っている手前、あまりハッキリした店名を名乗りにくいのかもしれない。逆に考えれば、あまり明確なのも考えものだとは思う。

 こんなのでは信憑性がないから、あえて不明瞭な店名にしているんだと考えることにしよう。

 その代わりこちらも、テキトーに「無国籍料理・アワェウエァアー」とか読ませていただきますぞ。

 

4月22日(月曜) 夜

 旅先から帰ってくるとローな気分になることが多い。

 旅が楽しければ楽しいほど帰ってきたときのションボリも大きい。「非日常の時間」から「退屈な日常」に連れ戻されるとき、その落差が喪失体験に似たションボリを生じさせるんだろう。

 だが、こういうことを繰り返してるうちに、旅から帰ってきても落ち込まなくなってきた。

 というのも、旅に出たとたん「家に帰ったらションボリするんだろうなァ」なんてことばかり考えてしまうので、旅行そのものが片時も楽しくなくなってくるのだ(旅行中も帰宅後のことばかり考えてるんだから当たり前である)。その結果、いざ帰ってきてもテンションはそのままなので、ちっとも落ち込まずにすんでいるという次第。

 人生を落ち込まずに過ごすためには、楽しまないのが一番なのかもしれません。

 ぼくはもちろん有言実行しております。うらやましいですか。

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 そういや、ある作家がこんなことを言っていた。

寂しいという感情を抱くのは、それ以前に「寂しくない状態」を経験しているからだ。

 まったく寂しい人がうらやましいですよ。はやく寂しくなりたいものですなァ!!

 

4月21日(日曜) 夜

 昨夜は飲みに行ってたので更新できませんでした。

 ところでぼくは、知人との待ち合わせに本屋を使うことが多い。冷暖房が効いてるので快適だし、だれかが遅刻しても立ち読みしてりゃ時間をつぶせるだろうという算段である。

 ただ、実際に待ちぼうけを食うとなかなか時間が経たなくてイライラする。いちおう立ち読みしてはいるものの、字面を追ってるだけで内容などうわのそら。「いつまで待たせんだよ…」と思ってると読むのにまったく集中できないんである。

 いつもなら気がつけば1時間以上立ち読みなんてこともザラなのに、この違いはなんなのだろう。

 …と不思議だったのだが、原因は至極単純なことだった。待ち合わせのときはつい見栄を張って、「エスクァイア」とか「デザインの現場」とか、ちょっとレベルの高そうな雑誌を手にとってしまう(相手がやってきたときに印象がいいだろうというセコい魂胆である。普段は週間現代とか読んでるくせに)。だから余計に内容が入ってこないのだった。

 どうせちゃんと読んでないんだから、今後の待ち合わせはドストエフスキー全集とか立ち読みして過ごすことにしよう。

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 さっき机を整理してたら、中学・高校時代に使っていた下敷きが出てきた。

 下敷きというだけでも懐かしいが、おまけに透明ファイルのタイプで、ガンズンローゼズのポスター(雑誌の切り抜き)が間にはさみ込んであった。うわー、エラいものを発見してしまった。

 当時はこれがカッコイイと思っていたのだ。イキがって電車の中でもウチワ代わりに使ってみたり。ハードロックウチワ。あまりの情けなさにすっかり興奮してしまい、自分の中で下敷きブームが湧き起りつつあるのを感じております。

 このままいくと、「ジョージマイケル下敷きを電車の中で取りだして、パタパタあおぐ」なんてことをしてしまいそうで怖い。本当に怖い。

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 さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京横浜」。この前、東京旅行したついでに立ち寄った横浜市内のようすをレポートしてみました。相変わらずな内容なので、横浜市民のかたがたからはブーイングかもしれませんが、どうか大目にみてください。

 というわけで、よろしければご覧ください。

 

4月19日(金曜) 夜 ワイン1本

 あと数年で30歳になってしまう小生ですが。

 自分の子ども時代を振り返ると、30歳なんて完璧に「オジサン」「オバサン」だった。もう立派なオトナ。40歳のオジサンとの区別もまったくなかったのを思い出す。

 でも今の自分を見ると、そういう自覚など皆無である。言ってることはウンコチンコだし、精神年齢は小学生のまま。「気持ちだけはヤングですぞ」と言えば聞こえはいいが(そうなのか?)、子どもの頃に思い描いていた「オトナ像」とはほど遠いことを痛感する。

 いっぽう我が祖母は、いまだにぼくを子ども扱いする。先日顔を会わせたときも「また大きくなったねェ」と言われた。28歳にもなって身長が伸び続けてたら不気味であるが、祖母の背丈が順調に縮み続けているので、相対的に「大きく」はなっているんだろう。

 こう考えると、「オトナになる」って意外とベースラインは変わらないままなのかなァと思う昨今。

 で、老人になったらボケてウンコもらしたりして、ますます赤ん坊に帰る。

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 そういや子どもの頃、「オトナになったらオトナの字が書けるようになる」と思っていた。

 しかし現在、書いてるのはナメクジが這ったような字。自分でも読解困難な代物である。こんなはずじゃなかったのだが、最近は字を書くといえばパソコンなので、書字はますますヘタクソになっている。高校時代がピークだったろうか。

 そして今、印刷フォントを草書体なんかにして、字がうまくなったような気になってます。

 自分は変わらなくても世の中は着実に進歩していく。ああ安心だ。

 

4月18日(木曜) 夜

 上司から書類のコピーを頼まれた。

 「今後も頻繁にコピーする文書なので、原版はちゃんと取っておくように」とのこと。

 ただ、最近のコピー機は性能がいいので、どれが複写でどれが原版かすぐ分からなくなる。そこで原版の書類に「原版」と書いておいたら、これを見つけた上司から大目玉を食らいました。「こんなのをコピーしたら原版がどんどん増えるだろバカ!」。

 そういや学生時代も、バイト先で同じミスをしたのを思い出した。継続は力なり。

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 昨日の日記について何人かのかたからご指摘をいただきました。

バリウム飲むのは胃透視のとき。胃カメラのときは飲みません。

 確かにそのとおりだ。胃カメラの前にバリウムなんて飲んだら、胃壁が真っ白けになってなにも見えなくなってしまうだろう。

 知人のせいでとんだ恥をかいたので、さっそく電話で本人に注意しておいたのですが

  ぼく:「このまえ胃の検査したって言ってたけどさァ、胃カメラのときはバリウム飲まなくてよかったんやぞ」
  相手:「…当たり前だろ。バリウム検査のあとレントゲンがあったんだよ。ていうか、そう言っただろオレ」

 考えてみたらバカみたいな注意だった。おまけに人の話をちゃんと聞いてないことまでバレてしまいました。

 

4月17日(水曜) 深夜

 カレー3日目。

 ウンザリしながら食べてみたら異様においしくて、結局ぜんぶ平らげてしまいました(およそ4人分)。カレーは3日目にピークを迎えるのかもしれません。

 もちろんおかずはカレー一品だけなのだが、これだと味気ないので、肉片を食べるときは「牛肉のうま煮」を、じゃがいもを食べるときは「ポテトサラダ」を、それぞれイメージしながら食いました。これで一挙におかず二品。

 これに勢いづいて、ルーをすするときに「食後のカレードリンク」をイメージしてみたら、急にオエッときた。

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 そういや先日、知人が検査で胃カメラを飲んだ。

 幸い異常は発見されなかったのだが、デカい胃カメラを飲んで以来、どうも胃の調子がすぐれないとのこと。

 胃カメラを飲むつらさに加えてバリウムのまずさにも閉口したらしい。近年では飲みやすさを考えて、イチゴ味のものなども開発されていると聞くが、こんなのではまだまだダメだろう。胃カメラ検査がストレスフルであることに変わりはない。

 考えてみればストレスは胃の大敵である。検査によって胃の症状が悪化するようでは本末転倒。ここはひとつ、検査自体がストレス緩和に役立つような、よりよい胃カメラを考えてみたい。

  1. 検査室を居酒屋風の内装にする。医師はふんどし姿でユーモアを、看護婦もふんどし姿でエロを演出。
  2. ふんどし姿の看護婦がうやうやしく運んできた「焼酎のバリウム割り」をグッと一気にあおる。
  3. 胃カメラ本体にも高級珍味が塗られている。「生うにカメラ」「子持ちししゃもカメラ」のいずれかをチョイス。
  4. ほろ酔い気分で、生うにタップリの胃カメラを一気に胃におさめる(贅沢!)。
  5. オエッときそうになった瞬間、看護婦がよろけて生パイオツが顔面にムニュ!思わず吐き気を忘れる小生。

 こんな胃カメラならいくらでも飲む。胃潰瘍くらいなら検査だけで治るかもしれない。癒し系胃カメラ。

 

4月16日(火曜) 夜

 先日、通勤で毎日利用している駅構内に女性の下着の広告が張り出された。

 以来ここを通るたびについ目がいってしまうので恥ずかしい。朝、遅刻しそうになって猛ダッシュしていても、ここを通ると必ずチラッ。あまりのさもしさに我ながら情けなくなってくる。

 こんな状況からなんとか脱却しようと自問自答するのだが、これがまた難儀なのだ。 

「たかが下着じゃないか。毎日見るほどのものじゃないだろう」
「ちょっと待て。ブラモロとパンモロだぜ。パンチラなら喜ぶくせになに言ってんだ」
「だってパンチラじゃないもん」
「一部分なら見て全体なら見ないのか? 『木を見て森を見ず』とはオマエのことだな」
「でもこれって広告だろ。冷静になろうよオレ。唐突に格言持ち出すのとかやめようよ」
「じゃあこれが風でまくりあがったワンピース姿だったらどうなんだよ。絶対見るだろ?」
「ぐっ…。でも水着と考えたら興味ないね。ああ全然興味ない!」
「これのどこが水着なんだ? 紛うことなきブラジャーとパンティーじゃねえか! 真実を受け入れろよっ!」

 敵もさるもの、なかなか手ごわい。

 というより、来る日も来る日もこんなディベートを繰り返してる自分。本物の莫迦だ。

 今風にいえば「二重人格」なのかもしれないけど、こんな情けない二重人格はいやです。

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 えー、話は変わって。

 今夜もカレー(下の日記参照)。本格的にイヤになってきてます。でもあと4人分はある。

 昨日と同じ味だと気が滅入ってくるのでホウレン草とデミグラソースを加えてみたら、ますます量が増えてしまいました。またしても残り5人分にボリュームアップ。やってもうたがな!

 量を増やさずに趣向を変えるにはどうしたらいいんだろう。

 うわー、こんなカレーづくしだけは御免こうむりますぞ。

 

4月15日(月曜) 夜

 ここのところポケットティッシュのストックが不足してるので、街のティッシュ配りを逃さないよう心がけている。

 今日も前方にティッシュ配りが見えてきたので、コンディションを最高の状態にキープしながら近づいていったわけです。

 で、受け取る気マンマンで手を伸ばしかけたところ、前の人でちょうど手持ちのティッシュがなくなってしまった。そのままダンボールへ補給に走る配り屋。ああ、なんてこったい!

 なにごともなかったかのように素通りしたのだが、横を歩いてた人はぼくのコンディション調整に勘づいていたようす。

 人生がイヤになってきました。

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 昨夜作った大量のカレーをさっきはじめて食べたのだが、からすぎて少ししか口にできず。

 辛いのではなく、妙にしょっぱいのだ。どうやら塩を入れすぎたらしい。「激辛カレー」はよくあるけれど、「激しょっぱカレー」など聞いたことがない。これだったらレトルトのほうがずっと美味しいじゃないですか。失意のどん底に突き落とされております。

 しょぱさを中和させるために砂糖を入れてみようかとも考えたが、こんなことして甘くなりすぎたら収拾がつかなくなるに決まっている。今度は甘さを中和させるために塩を加えて…なんてことをしてるうちに、カレーの甘露煮になってしまうだろう。

 くやしいので、少しの量でたくさん飯が食える「得々カレー」と考えることにします。ああ得した。6人前あるけど。

 

4月14日(日曜) 夜

 ひまなのでカレーを作ったらすごい量になってしまった。ゆうに6人分はある。

 明日から毎日カレーかと思うとうんざりするが、2日目の「うまさピーク」だけを頼りにがんばります。

 はやく明後日になあれ。来週のメーンイヴェント。

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 先日、友人宅で飲みながらテレビを見ていたとき、宇多田ヒカルの曲が放映された。

 シングル「光」のプロモーションビデオ、本人が食器を洗い続ける例のやつである。で、こういう日常っぽいのがカッコイイという風になってるんだなーと思いながら見ていたところ、隣にいた友人が感想を述べはじめた。

  1. 洗剤もタワシも使わず水流しだけなので汚れが落ちてない
  2. 洗ったあと拭かずに放置してるので菌が繁殖しやすい
  3. 結論:宇多田ヒカルは不潔だ

 確かにそうかもしれない。もし宇多田ヒカルさんがあなたの家に遊びにきても、洗い物はご遠慮願ったほうがいいでしょう。「宇多田さんに洗い物なんて恐れ多いですしー」とかなんとか、うまいこと理由をつけながら。

 こういう批評を避けるためにも、洗剤とタワシを使ってごしごし洗うビデオクリップにするべきでしたな。あと、ガンコな汚れは漬け置きして、排水口にたまってる生ゴミも毎回ちゃんと捨てる。♪どんなーときだって、たったーひーとりで〜。当たり前の話ですが。

 

4月13日(土曜日) 深夜

 昨日はちょっとバタバタしていて更新できませんでした。

 それはさておき、最近、携帯電話の番号を訊かれて「持ってない」と答えると怪訝な顔をされることが多くなってきた。というか、ぼくの周りの全員がケータイを持っているのである。唖然。

 思えば大学に入った当時、ケータイなんて持ってるほうが少数派だった。「まったく新しモノ好きな連中だなァ」と半ば呆れながら見ていたのを思い出す。だがそうこうしてるうちに、気がつけば持ってないのは自分だけという状況に。まるで浦島太郎のような気分である。

 労せずしてタイムスリップできて嬉しい!

 …などとのんきに強がってる場合じゃないのかもしれません。今までの意識のままで過ごしていたら、なにかの拍子にあらぬことを口走ってしまいそうで怖いんである。

 たとえば「ケータイ持ってる人ってなんか苦手なんですよねー」なんて言ったら、世の人々のほとんどを敵に回してしまって身動きがとれなくなりそうな気がする。逆に「結婚相手はケータイ持ってる女性がいいですね」なんてのもダメだろう。確かに守備範囲は広いだろうが、広けりゃいいってものじゃあない。

 そして、ケータイ使ってる人を見ると「あこがれのようなもの」を抱いてしまう習性もそろそろなんとかしたい。

 ちなみに、ぼくが携帯電話を買わないのは、電話が苦手なのとケチだからです。

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 さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京縁切り」。縁切り神社で有名な京都の金毘羅宮に足を運んできたレポートです。ストーカーと縁を切りたいとか、○○君と××さんの縁が切れますようにとか、そういった私怨のこもった絵馬を見てまいりました。本当に心が和みます。

 あと、「覚醒剤と縁を切りたい」という内容の絵馬に本名が書かれてたのでビックリしました。ちょっとヤバいんじゃないんでしょうか(もちろんコラムの画像では名前部分をカットしてますが)。

 よろしければご覧ください。他人のもつれ話は「癒しグッズ」であることを再確認しております。

 

4月11日(木曜) 夜

 先日、職場の飲み会で上司の男性とえらく盛り上がった。

 二人してボルテージが最高潮に達してしまい、気がつけば手を握りあったり、肩を組みあったりするハッスルぶりだったのをおぼろげながら覚えている。ああ、思い出すだけで顔が赤くなりそうである。

 そして今日、その上司とバッタリ顔をあわせた。気まずさフルスロットル。で、「この前はなんだか盛り上がりましたねー」「そうだったねー」なんてぎこちない会話を交わしながら、なんとかこの場をやりすごそうと画策していたわけですが。

 そこでふと上司が言った。「ところでオレたち、なんで盛り上がってたんだっけ?」

 これが全然思い出せないんである。ガッチリと手を握りしめたりしてたのは覚えているのだが、それがどうしてなのかが分からない。体中が骨抜きになりそうな一時である。

 でもまァ、たいしたことじゃないんだろうけれど。どうせ「子持ちししゃもって美味いよなァ!」「ホントもう最高っす!」なんつって熱い抱擁を交し合ってたんだろうなー。 

 「小さいことに感動できる人生こそ素晴らしい」などとよく言われるけど、本当にそうなんでしょうか。子持ちししゃも。

 

4月10日(水曜) 深夜

 あるサイトの掲示板で「浅田飴」というハンドルの書きこみがあった。

 浅田飴。もう少しなんとかならないものか。あなたは本当にこれでいいのか?

 そういや以前、「コマ梅田」という女子プロレスの選手がいた。「梅田コマ」を逆さにしただけ。こんなのがリング上で死闘を繰り広げているのだから、世のなか本当に平和だった。

 こう考えると「浅田飴」なんてハンドルは気取りすぎなのかもしれません。

 そして、極悪プロレスラー「アメ浅田」の登場を静かに待ちたいと思う。

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 このまえ牛丼屋で食事をしていたとき。

 運ばれてきた牛丼に髪の毛が入っているのに気づいた隣客が「あ、毛が…」と指さした。

 店員はあわてて「申し訳ありませんっ、いますぐ交換します!」と平謝りしたのだが、その客は「いいよいいよ、オレこういうの気にしないし」。 ウソつけ。気にしてなかったら言わないだろ。

 飲みに行くたびに「彼女と別れたんだけど全然ショックじゃないんだよね…」と繰り返してた知人をふと思い出した。

 

4月9日(火曜) 夜

 スーパーで「味付もずく3個パック」を衝動買い。

 さっき、さっそく一個食いました。自分なりに無頼派な生活。

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 いつもズボンのポケットにアパートの鍵を入れているのだが、これが心配でしかたがない。

 なにしろ、ポケットの裏地など薄っぺらな布一枚で作られているのだ。もし穴が開いたら鍵を落として大変なことになることだろう。帰宅しても部屋に入れず立ち往生、そして錠前交換の手間とカネ…。ああ、考えただけでゾッとする。

 「ポケットの裏地なんて破れやしないよ」とおっしゃる向きもあるだろう。が、これは違うと申し上げたい。ポケットの内側が破れたのをいいことに、街中でも堂々と如意棒をさわっているという知人が現にいるのだから(本当に知人です。ぼくじゃない!)。

 こういうセキュリティ不安に応えるためにも、ズボンメーカーは今後、ポケットの頑丈さをアピールする広告戦略をとるのもいいかと思います。「ゾウが入ってきても破れない丈夫なポッケ〜LEVI'S VINTAGE SERIES」なんてって。CGを駆使すればテレビCMだって可能だろう。

 ゾウが入っても破れないジーンズなど個人的にはあまり穿きたくありませんが。超のびのびジーンズ。

 

4月8日(月曜) 深夜

 30歳前の知人A氏(男性)が先日、結婚式をあげた。

 新郎も新婦も実家が「ちゃんとした家」なので、一流ホテルでの盛大な挙式である。で、親戚一同が集う中、新郎新婦の紹介が厳かに行われたワケだが、問題はA氏が今もなお職に就いていないことだった。

 新婦は一流企業に勤めているから、そういう経歴が紹介される。だが新郎の紹介になると、職業に関する事柄がまったく話に出てこないのだ。

 二人で旅行に行ったときのエピソードとかばかりが披露されるが、仕事の話はまったくナシ。「旅行は分かったけど今はなにやってんだよ!?」 式場には明らかに妙な空気が漂い始める。が、そんなこと誰も指摘できるはずがない。

 実はA氏にはエロサイト運営の副収入があるのだが、こういうのを紹介するのもマズいだろう。

 「えー、新郎のA氏は現在、成人向け画像を提供するサイトで運営に邁進する日々でありまして…」

 いやまァ、こんなのテキトーに、「インターネット事業の企業戦士として云々」とか紹介しとけばいいとは思うんだけどさ。ナンパで知り合ったカップルも、結婚式では「友人の紹介」になるらしいし。

 でも正直言うと、こうして結婚している彼のことがうらやましくて仕方がない。

 

4月7日(日曜) 深夜

 東京から帰還。新宿ロフトプラスワンで行われた、Webやぎの目のトークライブを見にいってました。

 会場で「いつも Otearai Web 読んでます」と声をかけてくださったかたもいて、これは嬉しかったんですが、遠くのほうから「あの人きっと、お手洗いの人だよ」「ほんとだ。お手洗いの人だ」なんつって指差されたのにはちょっと赤面。

 周囲の人は怪訝な目でぼくのほうを見ていた。そりゃそうだろう。

 「お手洗いの人」

 事情を知らない人が聞いたら、まるでトイレの清掃夫みたいじゃないですか。

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  狂牛病で問題になった「肉骨粉」(にっこっぷん)って、「にこにこぷん」に似てて可愛いですね。

 …ということに昨日気づいて得意になっていたのだが、念のためGoogleでキーワード検索してみたら多数のサイトがヒットした。

 ぼくが考えるようなことは既に誰かが思いついている。当たり前なんだけど、ちょっと落ち込む。

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 さて昨日、某企業の連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「いまどきの京自転車」。京都市内の自転車をブラブラ見て回ってきた結果を報告しています。なんというか、本格的にダメな感じが募ってきておりますが、これは何ごとにも「本格派」を追求するぼくのスピリットに他なりません。

 よろしければご覧ください。

 

4月5日(金曜) 昼

 昨夜は飲みに行ってたので更新できませんでした(定型文になりつつありますな)。

 それはさておき、学生時代、絵のデッサンが非常にうまいH君というのがいた。

 どんな難しいモチーフでも正確に描き写し、それはまるで写真のようだった。人間ポンプならぬ人間写真。こういう才能を埋もれさせておくのはどうなんだろう、と思うほどの見事なデッサン力だったのだ。

 そんなH君にも大きな欠点があった。字がものすごくヘタクソなのである。

 ミミズが這ったような彼の字は、凡人にはとても読めない代物だった。急いで書いたときなどは本人も読解できずにお手上げだったのを思い出す。

 でも今思えば、H君は「上手な字をデッサン」すればよかったのではないだろうか。

 たとえばお習字の先生なんかに達筆で文章を書いてもらい、それをお手本にするわけである。デッサン力に関しては天才的なH君のこと、そのまま写真のように書き写すことができることだろう。これで悪筆も一挙解決である。

 ちょっとしたメモ書きするにも、習字の先生がまずお手本。「○○部長、本日の会議は4時からになりました」なんていう毛筆の手本を木炭と食パンで丹念にデッサンする彼。作品名は「素描:部長への伝言」。

 ひょっとすると将来、MoMAあたりに展覧されるかもしれません。

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 さて、今から東京に行きます。見たいイベントなどもあったりして。

 ついでに2泊ほど滞在する予定なので、日記も更新できないかもしれませんが、どうぞご了承ください。

 パソコンが使える環境があれば更新するかもしれません。

 

4月3日(水曜) 夜

 トイレットペーパーが安売りだったのでまとめ買いしました。

 おかげで現在、24個ものトイレットペーパーが便所に並んでいる。一人暮らしの男なのにトイレットペーパーだけは24個。冷蔵庫は空っぽなのにトイレットペーパーは24個。

 武士は食わねど高楊枝、みたいなダンディズムです。違いますか。

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 学生の頃、専門分野のことに関する研究会が発足した。

 他の学部の人たちにも広く参加してもらおうとの趣旨で先生が立ち上げたもの。モットーは次のとおりだった。

 …というわけで発起人の先生が愛称として名付けたのが「どしどし研究会」だった。

 後から聞いた話では、参加者がまったく集まらず、あっという間にポシャってしまったらしい。そりゃそうだろう。「どしどし研究会」なんて恥ずかしくて、普通の学生にはとても参加できないのは明らかである。

 敷居を低くしすぎると、逆に敷居が高くなってしまうという一例でした。

 

4月2日(火曜) 夜

 上司のオッサンと喋っているとき、顔にツバが飛んできた。うわー汚ねえ。

 とっさに手で顔を拭おうとしたのだが、ここでふと気づいた。「ツバをこするとくさくなる」のだ。ツバはいやだが、くさいのはもっとイヤだ。

 仕方なく拭かずにそのまま耐えてました。なんだか猛烈に腑に落ちないひととき。

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 会社帰りに立ち寄ったスーパで豚肉を買おうとしたらグラム120円だった。

 ちょっと遠くにある別のスーパーならグラム98円で売っている。…と思い直し、いったん帰宅してから自転車で足を伸ばしたところ、路肩で転倒してズボンを破いてしまいました。22円稼ぐために7千円の損失。

 ヤケクソになって豚レバーを購入したんですが、自分で作ったレバニラ炒めは激マズでした。

 

4月1日(月曜) 深夜

 今日は入社式でした。

 新入社員たちがウチの部署にも挨拶回りにやってきた。いいなァ。挨拶回りしてるだけで給料がもらえるなんてうらやましい。

 で、彼らは「よろしくお願いします!」と威勢よく挨拶してくるのだが、どう返していいかよく分からない。ぼくはひたすら、「いやまぁ、どうも」などと口ごもるばかり。あいかわらず対人スキルのなさを痛感する。

 このぶんじゃあ、数年後には彼らがぼくの上司になりそうな予感。

 しまった、もっとちゃんと挨拶しておくんだった。

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 こういうときに戸惑うのは、自分の役割が不明瞭なことに原因があるように思う。

 だって、他部署の新入社員なんてある意味「お客様」だし、どう対応すればいいのか分からないのは当然ともいえる。なんらかの役割を与えられていたら楽なのになァ。

 たとえば「時代劇の登場人物」という役割なら次のようなセリフを返せばいい。

 「やっこさん、おいでなすたっか…」

 入社早々「やっこさん」呼ばわりされたらフレッシュな気分も吹き飛びそうですが。

 


   2002年3月のプチ日記 

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