2005年2月のプチ日記

2月28日(月曜) 夜

 駅の売店に突如、こんな張り紙が出現していた。

 やはり、このドアの前で立ち往生した人がいたと考えるのが自然だろう。

「ありゃ。この扉、開かんっぺ」
「自動式じゃなかとちがうけ?」
「おう、引っ張ってみるわ」
「うむー、開かんとねえ」
「もう閉店にちがいね」
「田舎は店じまいが早とねえー」

 …なんてなやりとりがあったのかどうかは知りませんが。確かに、京都もまだまだ田舎だと実感します。

 それとも六本木ヒルズの自動ドアにも、こんな張り紙が貼られているんでしょうかねえ。

 怪腕の田舎男児が上の張り紙を見て、「普通に押して入ろう」としてドアを粉々にしないことを祈りつつ。

 

2月27日(日曜) 夜

 愛知県の美浜町と南知多町を合併して「南セントレア市」にするという法案。

 案の定、住民の反対意見が噴出しているようですな。

 外野から見ているぶんには面白いけれど、自分の住んでいる地名が「南セントレア市」になったら…と考えると、頭がクラクラするのを禁じえない。なにしろ、住所を聞かれたとき、「愛知県南セントレア市〜」なんて言わなきゃならないんである。

 ぼくがいま住んでいるアパートの名前もちょっと小っ恥ずかしいのだが(実名は書けないけれど「シャトレーゼ今尾」みたいなの)、そのうえ市名まで「セントレア」になってしまったとしたら。

 たとえば電話で注文などした場合、次のようなやりとりなると予想される。

「それでは名倉様、ご住所をお願いできますでしょうか」
「はい。えーと、京都府セントレア市××町432番地、シャトレーゼ今尾501号室…です」
「繰り返します。京都府セントレア市××町432番地、シャトレーゼ今尾501号室ですね?」
「そ、そうです」

 気取った名前をつけると後になって後悔するのは世の常だろう。

 こんなものが、運転免許証にも健康保険証にも印字されてしまう屈辱といったら。

 どうせなら南セントレア市も「サウス・セントレーァ市」とかにしてはいかがでしょうか。

 

2月26日(土曜) 深夜

 研修でランチョンセミナーに出席した。

 ランチョンセミナーというのは「昼食をつつきながらエライ先生の講演を聞く」のが趣旨の、言わば講演会の気楽版である。

 で、会場に行くと100人前後の聴衆が来ていて、それぞれに弁当が配布されたわけですが。

 問題はタクアンだった。食べるとコリコリ音がするのだ。

 なにしろエライ先生が講演してる最中に、100人もの聴衆がタクアンを食べるわけである。いたるところで、コリコリッ、コリコリッ、コリコリッ…。会場に響きわたるタクアンの音。

 ぼくは気が弱いので、音をたてないよう、口の中で溶かすようにしてタクアンを食べた。おそろしく不味かった。

 

2月25日(金曜) 深夜

 さっきテレビジョン放映を鑑賞していたら、「日本唯一の指頭画家」という某氏が紹介されていた。

 指頭画というのは水墨画の一種らしく、要は「筆を使わず手と指だけで描く絵」であるとのこと。それは別にいいのだが、気になったのは、その後のインタビュアーのコメントである。

 「○○さんは日本唯一の指頭画家と言われています。○○さんは10年以上前、独自にこの技法を編み出されたんだそうです」

 ちょっと待った待った!!

 独自に技法を編み出して「日本唯一の指頭画家」なんて言われても。それって単に、だれも「指頭画家」と名乗ってないだけじゃないか?

 ぼくは絵画に明るいわけじゃないけれど、学生時代に美術部に在籍していた関係で絵画技法をかじってみた程度の知識ながら、指や爪を使う描画技法は至極ポピュラーなものだった気がする。

 そもそも絵画の始まりなんて、古代人が指で何か描いたのが起源であって、それを進化させるべく筆などのツールが発展してきたんではあるまいか。

 いやまァ、だからといって手や指や爪による描画を否定するつもりは毛頭ない。こういうのにはプリミティブな味わいがあるんだろうと思うし、 「指頭画」自体は、江戸時代に中国から渡来した 伝統的な技法であるとも聞く。そもそも芸術は「無駄だからいい」のだと思っておりますし。

 ただ、こういうのを「日本随一」とか言いだすと、どんどんよく分からないコトになるような気がするんである。

 彼らを「日本随一」と呼びたくない気がするのはぼくだけだろうか。

 そういや昔、「世界初の乳首ペインティング画家」を自称する女性がメディアに登場したことがあるのを思い出した。乳首にアクリル絵具をつけて、キャンバスにポンポンポン。…それって、ただ面倒だから誰もやらないだけだろう。

 だったらぼくも、世界随一の「のどちんこ画家」を目指すとするか。

 画材は安全面を考慮して、食品添加物の青色2号とか赤色3号とかで。たまにカドミウムイエローとかシルバーホワイト(いずれも人体毒性がある)とか使って男気見せて。「私は絵画に命を張ってるんです!」なんてって(こんなので命を張る必要などちっとも無いのはさておき)。

 挙げ句の果てに100号キャンバス作品とか出して、「ウソつけ!」「どうやって喉に入れんだよ?」と言われておしまいです。ドルビーNRオン!!

 

2月24日(木曜) 深夜

 ゲロをついばむカラスを見かけた。

 カメラを向けても構うことなく、一心不乱についばみ続けていた。そんなに美味しいんだろうか。

 「なんだか美味しそうなものがあるぞ! カー、カー!!」
 「うん、こりゃ確かにうまいや! カー、カー」

 思わずオエッとくるが、考えてみればゲロは理想的な食物ではあるまいか。

 いやまァ、胃液の塩酸は口粘膜や歯を傷つけそうだし、分解酵素も食べるには適していない気もするけれど。

 お腹の調子を崩してる人には、ゲロを口移しで与えてあげるのがいいのかもしれませんな(※)。お腹にやさしい食べもの。

※ただし、喉に詰まって相手が死んでも当方は責任を負いかねますのであしからず。司法解剖の結果、「他人のゲロが死因である」ことが判明して猟奇事件へと発展しても、もちろん責任は負えません。ゲロは自己責任でお願いいたします。

 

2月23日(水曜) 深夜

 職場のパソコン全てがブロードバンドにつながった。

 なので皆がそれぞれ、好きにインターネットを見れるようになった。私用の使用は禁じられているのだが(ダジャレじゃないですよ。念のため)、休憩時間にちょこっと「ネット・サーフィング」するくらいは会社側も大目にみてくれている。

 雑談中なんかも、分からないコトや知らない商品なんかが話題に出ると、そのつどブラウザを立ち上げて検索したりしている始末。

 それは別にいいのだが、おかげでちょっと困ったことになってきた。

 ぼくがこのサイトを作ってることは職場では内緒にしている(中には知ってる人もいるが知らないふりをしてくれている)。ただ、長年やってることもあって、マイナーなキーワードで検索すると、プチ日記がかなり上位に表示されてしまうのだ。

 職場に関係するキーワードは踏まないよう注意して書いているつもりだが、それでも、たまたま出た単語を検索したらトップに表示されてしまったりする。たとえば次のような具合である。

ぼく:「この前ねえ、カーテン祭っていう看板を見かけたんっすよ。間抜けですよねー」
先輩:「へー、どんな祭だろうね。検索エンジンで調べてみようか?」
ぼく:「あ…。え、ええと。それはちょっとどうでしょうねえ」(数日前のプチ日記に書いてたのを思い出して大あせり)
先輩:「ググッってみますか」
ぼく:「あっ!! ぼ、ぼくがやりますっ!!」

 検索してみたら、あろうことかプチ日記がトップに表示されている。こんなのを読まれたら、ぼくが書いている日記であることが一発でバレてしまうかもしれない(会社のエピソードとかも書いてるし)。うはー、ヤバいところだった!!

 で、大急ぎで画面をスクロールさせて「プチ日記」の表示を隠して、別のページにジャンプして。「カーテン祭ってこんなのなんですねー」

 今後、日記で取り上げた話題は、職場では喋れなくなりそうな気配です。まあいいか。

 

2月22日(火曜) 深夜

 本日の自転車です。

 一見どうってことのない自転車だけど、フレームをよく見ると…。

 なんとアルマーニの自転車なのでありました。アルマーニって自転車も作っていたのか! 言われてみれば色使いなどがアルマーニっぽいような。

 って、そんなワケないですね。こんなステッカーを臆面もなく貼る勇気に、ただただ感服するばかり。

 でもエンポリオ・アルマーニって、ジョルジオ・アルマーニの弟格(ちょっと安い)だったような気がする。自慢しィなのか謙虚なのかよく分からず、ますます混乱して気が狂いそうになっております。

 それとも、エンポリオ・アルマーニさん本人の自転車なんでしょうかねえ。それなら何の不思議もない。

−−−

 そういや中学生の頃、容姿があまり端麗でない生徒である某順子さんが、"Mr. Junko"とプリントされたトレーナーをよく着ていたのを思い出した。

 正に「名は体を表す」だなァと、当時から可笑しかった。いやまァ、それを言えばコシノ・ジュンコ女史も…(以下略)。

 

2月21日(月曜) 深夜

 刃物に関するニュースがいろいろ紙面を賑わしている昨今でありますが

 刃物青年が小学校で事件を起こした寝屋川市では、新しい条例案が出されているとのこと。

 「包丁を買う客には氏名と住所、刃物の使用目的を記入してもらう。犯罪性のある使用目的の場合は販売しない」

 ええと。殺人犯は刃物購入の際、やはり正直に「使用目的:人を刺す」と申請するんでしょうかねえ。

−−−

 ところで先日、ふとんを買い替えた。

 すっかりくたびれた古いふとんを処分しようと思ったのだが、そのままだと大きすぎて回収してもらえない。かといって大型ゴミ扱いにすると、別料金がかかるうえ、市役所に電話したりしなきゃならないので面倒くさい。

 そこで普通ゴミとして出すべく、登山用ナイフ(正確には狩猟用)で一生懸命ふとんを切り刻んでおったわけですが。

 気がつけば「狩猟ナイフでふとんと格闘している自分」。このよく分からない図はなんだ。

 当の狩猟ナイフさんも、獣の生き血を吸えると思ってたらふとんに挑まされて、さぞガッカリしていることだろう。

 狂暴な人たちも、ムシャクシャしたらふとんを切ればいいのにと思う。

 

2月20日(日曜) 夜

 知人数人とレストランで夕食をたべていたら、付近からワキガの臭いが漂ってきた。

 とっさに周囲をうかがうと、どうやら隣テーブルの男が犯人のようだった。自分でも薄々気がついているようで、時折クンクンとシャツを嗅いだりしている。

 …と、その直後。たまたまメニューを手にしていたHさんが叫んだのでした。

 「うわーっ。このメニュー、ワキガの臭いがするよ!!」

 あわてて「しっ!」と身振りで制止したものの、時すでに遅かった。隣テーブルの男はぼくらの会話に気付いたのか、チラッとこちらを見た後、申し訳なさそうに固まっていたのでした。

 舞い降りる静寂が空気を凍らせる。

 気まずさに耐え切れず、つい「話題変えようよ!」と言ってしまったぼくも、いま考えるとダメだったかもしれない。

 …というか、以前にも似たようなことがあった(この日記にも書いた気がする)。そのときもレストランで食事していて、確かぼくが「このへんワキガ臭くない?」と言ってしまったのでした。こうして少しずつオトナになっていくのかもしれません。

 そして一番の疑問は、メニューがワキガ臭いと判断したHさんである。どうやったら臭くなるんだ!?

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「似顔絵ロボットの可能性と限界」。 隆盛を誇るロボット業界の一端を体験するべく、似顔絵ロボットに自分の似顔絵を描いてもらったレポートです。いざ描いてもらったら、似顔絵ロボットの意外な弱点が判明しました。

 よろしければ、ご覧いただければ幸いです。

 

2月19日(土曜) 深夜

 世の中にはいろんな祭がある。

 京都だと祇園祭が有名であるし、大阪ならだんじり祭、青森はねぶた祭といった具合に、その土地ごとに多様な祭が存在する。

 これは海外でも同じで、イースター(謝肉祭)やハロウィンのフェスティバルは全国各地で催されているし、ドイツならオクトーバー・フェスト、スペインならトマト祭という具合に、その国独自の祭もたくさん見られるのは周知のとおり。どの祭も盛大かつ華やかに催され、人々にとってハレの日となっている。

 そして本日見かけたのが、この祭であります。

 やったあ、カーテン祭だァー!! カーテン見まくって、触りまくって、飲めや歌えやのドンチャン騒ぎだあー!! 

 …なんてな光景はちょっと想像できないわけでして。カーテン祭、このゲンナリ感はなんなのだ。

 そういや小学生の頃、親に「祭につれてってやる」と言われてついていったら、陶器祭だったので暴れたことがあったのを思い出しました。

−−−

 ええと、下の日記で取り上げた「ベンツのエンブレム」でありますが。

 「ベンツのエンブレムは可動式なので、曲がったり折れたりしてるわけじゃないですよ」というメールを何通もいただきました。そうでしたか! ベンツなど乗ったことも触ったこともないので、まったく知りませんでした。お恥ずかしいです。

 いろいろ勉強になります。ありがとうございます。

 

2月17日(木曜) 深夜

 本日のベンツであります。

 シールドが全面に張られた「いかついベンツ」なのだが、エンブレムが少しだけ歪んでいる(イタズラで歪められたのだろう)。

 車の雰囲気からして組関係のベンツっぽいだけに、傾いたエンブレムの間抜けさもひとしおである。

 「少しだけエンブレムが傾いたベンツで事務所に乗り付ける暴力団員」

 いくらチャカなど手にしていたところで、これでは台なしではあるまいか。ピースマークに加工されなかったのが、まだしもの救いだろうか。

 だったら元通りに戻せばいいようにも思うが、下手に戻してポキッといってしまうのが恐かったものと推測される。暴力団にだって恐いものはある。

 敵対する組織の組員による、地味ながら手痛いイヤガラセなのかもしれませんな。折らないところが、また小憎い。

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 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「 タバコをどこに入れるかで悶絶」。普段はシャツの胸ポケットにタバコを仕舞っている小生ですが、不具合を感じ始めて、いろいろ試行錯誤している昨今の模様をしたためております。ジャケットに入れてみたり、カバンに入れてみたり。そして失敗してみたり。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。

 

2月16日(水曜) 深夜

 会社の後輩に減らず口をたたいていたら、言われてしまった。

 「あんまりそんなコトばかり言われたら、私、怒りますよ!」

 で、「怒りますよって、もう怒ってるんじゃないの?」と指摘したら、それ以降、口を利いてくれなくなりました。ぷしゅう。

 それとも「怒る」という感情は、段階を経て着実に生じる現象なんでしょうか。

 「私、そのうち怒りますよ」
 「ちょっと、ホントに怒りますよ!」
 「いい加減にしてください! もう真剣、怒りそうです!」
 「あ、いまにも怒りそう…怒る、怒る……」
 「はいっ、怒りました!!」
 「もおおおーっ!! ギャアァァァー!!」

 こういう怒りなら、あんまり恐くないので大丈夫であります。

−−−

 でも逆に、ポジティブな感情であってもどうだろう。

 「こんなのプレゼントされたら私、喜んじゃいそう」
 「あ、なんかホントに嬉しくなりそう」
 「まじで嬉しくなりそうかも」
 「あ、嬉しくなった!!」
 「うわーーい! やったあー!!」

 このゲンナリ感はなんだ。

 驚きなども同様である。

 「うわー、すごいねコレ。びっくりするかも」
 「っていうか真剣、びっくりしそう」
 「ああ、びっくりしそうだよー。今どんどんキテる」
 「あ、あ、びっくりする、びっくりする…」
 「は、はうあっ!!」

 理性よりも先立つからこそ感情なのだなあと、当たり前のことを再確認した一件でした。

 「私、怒りますよ!」の自己矛盾。

 

2月15日(火曜) 深夜

 本日のテクノ・トランスです。

 どうして英語じゃなく、ローマ字にしてしまうんでしょうねえ。「テクノ」からも「トランス」からも全力疾走で遠ざかっているような気がするのは、きっとぼくだけではないはずだ。TEKUNO TORANSU。

 というか、こういうローマ字ネタ、これまでにも何度か紹介してますな。いくつか集めておいて一挙に並べたほうが面白そうだとは思うものの、いつもつい我慢できずアップしてしまう性分はどうしようもありません。

 そして今回の"TEKUNO TORANSU"にいたっては、「カッコイイ人たちがわざとローマ字表記してたらどうしよう」と不安になって、とりあえず検索エンジンで調べてる体たらく。

 最ももっさいのはぼくである。

−−−

 いやァなにしろ、ぼくは以前、こんな原稿(新しいウインドウが開きます)を書いたことがありますもので。

 「藤原とうふ店」と書かれたミニチュアカーを真顔で小馬鹿にしております。「そりゃあ、頭文字Dっていう漫画に登場する車ですよ!」と読者のかたからご指摘いただいて、ようやく自分の愚行に気がついた次第でありまして。うわー、穴があったら入りたい! 穴がなくても飛び降りたい!!

 いま読み返しても赤面するが、今後もこのような「真の自虐」を目指してがんばろうと思います。本当の自分探し。

 

2月14日(月曜) 夜

 ネットで文章を読んでいたら、こんな一文を見かけてゾッとした。

 「遺体を満喫できたのでよかった」

 びっくりして読み直してみたら何のことはない、「連休」を「遺体」と読み違えていたのでした。

 こんな読み違えをする自分に改めてゾッとしております。

−−−

 夕食にカレーを作った。

 カレーならいくらでも食べられるので多めに作ったら、こんなことになってしまった。どうするよ。

 このままだと鍋があふれてしまうので、泣く泣くスープを少し捨てることにした。カレーの量を自分で減らすのが、これほどまでに辛いものだとは…。

 ちなみに鍋に投入したは次の通り。

 本当はチョコレートを一片入れると味がまろやかになるんだけど、その一片さえも手に入らなかった本日。

 …と、回りくど過ぎてよく分からない前フリをしてしまいましたが。

 バレンタインチョコをカレーの隠し味に使うような奴に、もらう資格などナシですね。すみません。

 「私のあげたチョコレートどうだった?」
 「うん、カレーに入れたらすごく美味しかったよ!!」

 

2月13日(日曜) 夜

 少し前(といっても去年になりますが)、ウチの近所にある「ザ・めしや24」の隣に、「めしや丼」がオープンした。

 どちらも定食屋チェーンである。両店、メニューも味も似たり寄ったりながら、一応の差別化はされていた。

 ぼくの中では、「ザ・めしや24」は大衆店、「めしや丼」は中流階級店という位置づけで、どちらかというと前者で食することのほうが多かった。で、これなら棲み分けは充分可能だろうと安心しておったわけですが。

 先日、「ザ・めしや24」が店じまいしてしまった。そして改装工事のすえ、新たな定食屋が出現したのでした。

 現れたのは「街かど屋」、定食平均価格帯680円(ごはんのお代わり自由)である。これって、「めしや丼」と全く同じやんけ。

 おそらく「めしや丼」に客を取られたオーナー夫婦が、巻き返し策を練ったのだろう。

 「ザ・めしや24のままでは経営が危ない!」
 「どうします?」
 「かといって、これ以上は値段を下げられんしなァ」
 「ロシヤ料理屋でも始めますか?」
 「ばかもんっ! ワシにもプライドがあるっ!!」
 「でも、めしや丼が隣だし……」
 「おお、そうじゃ。災い転じて福となす!」
 「はァ!?」
 「めしや丼の真似をすればいいのじゃ」

 …といった作戦会議があったかどうかは知らないけれど。

 ちょっとどうかなと思う店の出現に小生、戸惑っております。なんでこうなるのか?

 

2月12日(土曜) 夜

 本日の中古車。

 ポッキリ45万円。ポッキリって、こういうときに使うんだっけか。

 そういや以前、「298円ポッキリ!」というセールを見たことを思い出した。なにがどうポッキリなのや。

−−−

 ぬさもとりあえず、床屋に行ってきました。

 髪を切っている途中で突然、鼻の横っちょが猛烈にかゆくなってきた。

 ただ、散髪のあいだは体に布をかぶせられるので、手が自由に動かせない。強引に布をまくれば鼻を掻くくらいはできそうだが、カットしてもらってる最中にいきなりこんな行動におよぶのは失礼なように思う。

 そこでやなんとか手を使わずに鼻のかゆみを退治しようと、鼻腔をキュッと引き締めてみたり、顔面全体を激しくしかめてみたりしていたところ。

 ぼくの異状に気づいた理髪師から言われてしまったのでした。「あのー、もしかして顔がかゆいんですか?」

「ええ、実はちょっと鼻がかゆくて…」
「いえいえ、こちらこそ気づかず申し訳ありません。どうぞ手で掻いちゃってください」
「すみません、すみません」(布から手を出してポリポリ掻く)
「鼻って、かゆくなりますよねー」
「そ、そうですねえ」

 さすがはプロ、客のかゆみも分かるのか。

 …と感心していたら、耳に激痛が走って思わず顔が歪んだ。ハサミが耳の皮をかすったのだ(軽く切られた)。

 そしたら理髪師いわく、「かゆくなったらいつでも掻いてくださいねー」。心からガックシきた。

 

2月11日(金曜) 夜

 昨日の日記について、何人ものかたから色んなメールをいただいた。

 せっかくなので、これに対する回答やコメントを少々

 気になったので調べてみたところ、昨日の日記でとりあげた診療所は現在、一人の先生だけで診察されているようです。

 リューマチやパーキンソンを治療するのは、神経科ではなく神経内科になるみたいです。神経科は精神科のマイルド版といったところか。

 「皮膚科・肛門科」や「眼科・泌尿器科」がひとりの先生で行われているのは、確かになんとなく抵抗がありそうです。目を診てもらいに行って、自分の直前の患者が淋病だったりしたら…。大丈夫だと頭で分かってはいても、気になってしまうのが一般人の心性だろう。

 「内科・整形外科・皮膚科・産婦人科」に至っては、(医師がひとりだとしたら)どういうつもりなのか皆目分かりませんですな。整形外科があって一般外科がないというのも謎を深めます。だったらいっそ、「全科目診療します」というプライマリケアを目指したらいいのに。

 …かくいうぼくも大学院時代、某短大で非常勤講師をしていた頃は、「心理学」と「パソコン実習」(ワープロ&表計算)という2コマを担当してたんですけどね。

 

2月10日(木曜) 夜

 本日見かけた診療所です。

 複数の診療科目を謳っているクリニックはよく見かけるが、それはあくまで「内科・呼吸器科」や「神経科・心療内科」といった隣接領域だったように思う。しかしこの診療所は「神経科・皮フ科」である。心の病と皮膚病という取り合わせってどうなんだろう。

 いやまァ、「医師免許さえ取得すればどんな診療科を名乗ってもいい」という事実は広く知られた話である。

 だからこそ、診療所レベルであれば、やたらと多岐にわたる診療科目を謳っているところよりも、ある程度絞り込んだ診療科目だけをやっているところのほうが、専門家として良心的である(そして腕がいい)場合が多いともよく耳にする。

 確かに医者以外で考えてたって、「冷蔵庫でも自転車でも靴でも直しまっせ!」なんてな商魂たくましい業者よりは、「自転車と原付なら修理します!」という謙虚な業者のほうが、安心して修理をまかせられるような気がする。餅は餅屋と言われるとおりである。

 ただ、上に紹介した診療所は、そのいずれでもないので混乱してしまう。「内科も外科も小児科も産科も心療内科も診ますよ!」というガメツサは全く無い。「神経科と皮フ科なら診ますよ」という二科限定は、昨今のクリニック事情からすると謙虚とさえ言えるかもしれない。

 しかしなにしろ、神経科と皮フ科である。これを例えるなら、「自転車と掃除機の修理だけはウチに任せてくれ!」てなもんではないか。職人気質なのかそうでないのか我々シロウトには皆目分からず、ただただ混乱するのみである。

 それとも、「アトピーが悪化してノイローゼ気味になっていたら、ちょうど失恋して鬱状態になり、ボーッとしてたらヤケドしてしまった」患者さんなんかを専門に診療しているんだろうか。

 ヤケドでこの診療所を受診したら、「ついでに強迫神経症も治しときます?」なんて言われるのかもしれませんな。言われないとは思うけど。

 

2月9日(水曜) 夜

 電車の吊り広告で見かけた絵画であります。

 ブランコに佇む少女を描いた作品。こうして見るとまァ、上手だなとは思うのだけれど。

 よくよく考えると、これだけ細緻な描画を仕上げるためには、ゆうに10時間以上の時間がかかっていると推測される。ってことは、このモデルの少女、10時間以上もブランコに立たされていたんだろうか。ほとんど幼女虐待である。

 写真に撮ったものを見ながら描く、という方法もあるにはある。が、写真だと微妙な質感が失われるので、やはり実物を見て描くべきだとはよく言われる通り。かといって上のような絵は、記憶や想像だけではとても描けそうにない(もし描けたら「サヴァン症候群である)。

 したがって、この画家も実物を前にしながら描いたものと思われる。これを拷問プレイと言わずしてなんと言おうか。

 ちなみに作品名は『永遠を見つめる少女』。幼い子どもにとって長丁場のモデル稼業は、やはり永遠に感じられたんでしょうな。

−−−

 そういや、まだ写真のなかった時代、昔の画家たちは競い合って「姿を変えやすいもの」「腐りやすいもの」を描きとめていたと聞く。

 たとえば「氷のかけら」や「水滴」、「鮮魚」といった題材を、まるで写真のような正確さで描いていたんである。で、「こんなに崩れやすい題材をワシは正確に描けるんや!」と自慢するわけである(その陰で、同じような氷や鮮魚を何十個も用意してデッサンしていたらしいけど)。

 ひょっとすると、上述の画家も同じく、「じっとしていられない幼女をこんなに正確に描けるんや!」と自慢したかったんだろうか。

 だったらモチーフは、他にもいろいろあるだろう。

 「我が肌に止まりし蚊」
 「吾輩が殴られた瞬間(とき)」
 「中華なべを舞うネギチャーハン」

 こういったモノこそ、細緻な油絵として後世に残していくべきなのだと思う。

 

2月8日(火曜) 夜

 カフェで一服しておられた武士のかたがたです。

 あまりにも自然なくつろぎっぷりに、ついつい撮ってしまった一枚。

 今の日本、いろんな人がいらっしゃいますな。

−−−

 ところで、スポーツを見ているとつい、「もっとリアリティがほしいな」と考えることがある。

 スポーツにはルールが必要だと頭では分かっているのだが、長距離走の選手を見ると「自転車に乗ればいいのに」と思ってしまうし、コースを何周もするF1カーを見ると「 スタートラインからちょっとだけバックすればダントツ一位でゴールなのに」と思ってしまう。

 K-1やプライドなどの異種格闘技も、リアリティを求めた結果だと耳にしたことがある。

 そこでどうだろう。東京−大阪間をいかに早く移動するかを競う「異種レース」。ルールは簡単である。

 参加者は新幹線に乗ってもいいし、ジェット機を使ったっていい。もちろん競歩したければそれもOK。とにかくどんな手段を使ってもいいから(ただし法に触れない範囲で。逮捕されたら足止めを食らうので勝てない)、真っ先にビリケン像前にたどり着けばいいのだ。

 おそらく航空便を利用する選手が多数派になると予想されるが、独自にヘリコプターをチャーターする猛者なども登場するかもしれない。ただ、いずれにせよ最後は地下鉄を利用しなければならないから(通天閣にはヘリポートなどない)、階段を早く昇る体力や、改札を素早く通り抜けるテクニックも要求される。

 いわば「実用トライアスロン」である。見所は、飛行機の中での選手のようすだろうか(ドア近くの席を争奪する格闘も含めて)。

 協賛企業にJALやJR東海などが参加すれば、東京−大阪間のダイヤ短縮にも貢献しそうである。一石二鳥だと思うんだけど、どうでしょうかねえ。

 

2月7日(月曜) 夜

 ぼくはどうも考え症なところがある。気がつけばなにか考えている。

 ただ世の中、いくら考えても解決しないことがたくさんある。さっきもそうだった。

 「チェ・ジウはかわいいのか、そうでないのか?」

 15分間ほど延々と思索したすえ、その無意味さにようやく気がついた次第でありまして。

 思索と言えば昔の文豪みたいでかっこいいが、袋小路に陥ることが多いのも事実であります。袋小路実篤。

−−−

 ところで会社帰り、市バスの一人席に座っていたら、次第に客が混んできた。

 そしてふと見ると、眼前にヨボヨボのおじいさんが立っていた。うっ…。

 席を譲るべきか、無視を決め込むべきか? ヨボヨボの老人を立たせてるのも可哀相な気がするし、でもバスって電車と違って隣車両に逃げられくて恥ずかしいし。でもやっぱり、ぼくなどが座ってるのはマズいよなァ。やっぱり席、譲るべきだよなァ。

 …と、しばらく逡巡した後、意を決して席を立とうとしたそのとき。

 さらにもう一人、ヨボヨボの老人がぼくの真横にやってきたのでした。うわあ。

 ぼくが席を譲ったところで一人分しかないし、いったいどっちに譲ればいいんだよ!? おまけに御両人とも、甲乙つけがたいヨボヨボ加減。

 結局、「こうなったら、あとは自然の掟にゆだねるのみ!」と責任を放棄し、無言のまま席を立って前方へと移動したわけでありますが。

 二人のヨボヨボ老人はお互いに席を譲り合った末、その席は「誰も座れない真空地帯」になってしまったのだった。

 なんか余計に申し訳ないことをした気分になった。

 

2月6日(日曜) 深夜

 シャツを買おうと思い立ってデパートに足を運んでみた。

 もともとファッションに疎いのだが、最近「聞いたことのないブランド」のコーナーが増えてきて困っている。

 知らないブランドでも物がよければいいじゃないか、とおっしゃる向きもあろうが、事態はもっと深刻である。「このショップの服いいなァ」と思って品定めをしていたら、店員に「プレゼントをお探しですか?」なんて声をかけられたりするのだ。で、案の定レディースしか扱ってないショップだったりして大恥をかくことになる。

 ジーンズを手にして「これ試着してもいいですか?」と店員に尋ねてみたら、「プレゼントですか?」と訊き返されたときの、あの気まずさ。

 こっちとしては「紳士服売り場の階になんで婦人服があるんだよ?」と猛省を促したいところだが、こんなことでゴネたところで、爽やかな笑顔で謝罪された後、裏で物笑いの種にされるのがオチだろう。となると結局、メンズ服の有無を自分で判断しなくてはいけないことになる。

 なので、知らないブランドの店を見るときはまず、品揃えを遠巻きにじっくり観察するよう心がけているのだが、これはこれで店員に怪訝な視線を向けられて恥ずかしい。いったいどうすればいいんでしょうかねえ。

−−−

 さて本日、某ポータルサイトに連載しているコネタ記事がアップされております。

 今回のタイトルは「大文字山の火床に登ってみた!」。 子どもの頃からの疑問「送り火の大文字山ってどうして山火事にならないワケ?」を解消するべく、大文字山の火床に登って、火床の模様を確かめてきたレポートです。

 友人と登ったので後半は酒盛りになって泥酔しておりますが、醜態も含めてご覧いただければ幸いです。

 

2月5日(土曜) 深夜

 ヒマなので鼻毛を抜いてみたら、白髪の鼻毛が抜けた。うわっ。

 珍しかったので早速、実印を保管している箱に入れておいた(珍品は実印ケースに入れて貯めているのだ。宝箱のようなものか)。

 ちなみに現在、小生の実印ケースには何が入っているかというと…

 それぞれ自分なりには珍品なので大切にとっているのだが、「白い鼻毛」については、あと10年も経てばワサワサ収穫できてしまいそうな気もする。

 思い返せばこれまでの人生、ホントに「どうでもいいモノ」を蓄えてきた。

 話が逸れに逸れてすみません(ぼくの話など誰も期待してないでしょうけれど)。

 ええと、ウォーホルさんも鼻毛は真っ白だったのかなァ、とふと思ったもので。アルビノ鼻毛。

 それでは失礼いたします。

 

2月4日(金曜) 深夜

 学生時代、イタリアレストランの調理場で数年間アルバイトしていた。

 後半はぼく一人で調理場を切り盛りすることも多かったので、パスタ類はだいたい「プロの味」を作れるのがちょっとした自慢である。たとえば「ボロネーズ・スパゲッティーニ」であれば、冷凍スパゲティを解凍して、その上にレトルトのミートソースをかけて客に出していた。

 それはさておき、調理場の面々は全員が男性だった。業務用のデカいガスコンロ(バーナーの輪が四重になっている)を何機も使うので室内が50度近い温度になるうえ、一気に十人前くらいのパスタを炒められるヘビー級のフライパンを振らねばならないので、女性には少々きつい労働環境だったのだ。

 仕事中は男ばかり。するとどうなるかというと、おのずと「男の会話」が発展する。要するに、ものすごい猥談が繰り広げられるのだ。

 客からの注文に応じて、「ボロニア風ラザーニア」とか「マリナーラソースのパスタ」とか作りながらも、喋ってることは「昨日ソープで三発発射した」。

 どうか皆さまも、お気をつけください。

 貴殿の注文した「ペスカトーレのリングイーネ」も実は、「早漏しそうなときは己の尻毛を引っ張る」ってなコトを喋りながら作られた一品かもしれないのですから。昨日、己の尻毛を引っ張った指で調味料を振りかけてるかもしれないのですから。

 …って、「お気をつけください」と言われても、どうしたらいいのか分からないですね。すみません。

 想像するだけにとどめてくださって結構です。はい。

 

2月3日(木曜) 夜

 職場の上司(ビールっ腹の中年男性)がこんなことを言っていた。

 「この前、娘に連れられてジーパンを買いに行ったんだけどね。いやァ、最近のジーパンっていいねえ」

 ファッションになど全く興味がなさそうな上司であるだけに、一体なんのことかと思って話を聞いてみたところ。

 「いや、娘がね。最近はこういうのが流行りだからって言うから穿いてみたんだよ」
 「そしたら、腰の位置がまた随分と低いんだな」
 「これだと、すっかり出ちゃったお腹が圧迫されないし、とにかく楽でさあ」

 どうやら腰で穿くタイプのジーンズが妙に快適だったらしい。でも、ウエストの位置が低いのは、「ビールっ腹を自由に突き出させるため」ではないと思います。

 娘さんの心境もどうだったろう。「うちのパパも、こういうの穿いたら少しはカッコよくなるかも」と思って試着させてみたら、ビールっ腹が突き出し放題で具合がいいと言われてしまい。きっと、こういうつもりじゃなかったと後悔したんではなかろうか。

 で、結局そのジーンズを購入したという我が上司。こういう過程を経て、流行というのは下火になっていくのかなと思いました。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「タバコはいつ止めるべきか」 。 先日、自称「元・ワル」の叔父から「タバコは二十歳になったら止めるべきだよ」と説教されたのに逆上して、好き勝手なことを反論しております。気が弱いので本人には言えず、こうして全世界に向けて発信している体たらく。

 よろしければ読んでいただけば幸いです。

 

2月2日(水曜) 夜

 自宅で夕食(ミンチカツ)を食べていたら、唐突に思い出した。

 映画の「コイサンマン」のことをしばらく「コサインマン」だと勘違いしていたことを。

 …なぜ、こんなどうでもいいことを突然思い出すのか。自分の頭なのに謎だらけだ。

 そして思うのは、これが狂おしいほどに「どうでもいい謎」だということ。

−−−

 会社の同僚に、パソコンのタイピングがとても不得手なAさんという人がいる。

 キーボードをまじまじと見ないとキーの場所が分からず、さらにちょっとでもキーから目を離すと混乱するのだという。なので、タイピングするときは、キーボードにがぶりつきで作業しているありさま。文書を一行打つのに数分要するというから、まるで一言一句に入魂してる小説家のような話である。

 曲がりなりにもブラインドタッチで打てるぼくなどからすると、見ていてなんだか可哀相になってくる。さっさとブラインドタッチを覚えりゃいいのに。

 しかし、考えてみればAさん。キーボードにがぶりついてるせいで、ディスプレイを全く見ずにタイピングしているわけだ。おかげで、何分間も必死で入力した挙句、ディスプレイを見たら暗号文みたいになってたりするらしいが、それはまァそれとして。

 本当の意味での「ブラインドタッチ」とは、このことではあるまいか。なにしろ、ディスプレイを見ずに入力できるのだから。

 会社のパソコンのディスプレイがすべて壊れてしまったときのためにも、Aさんのような人材こそ温存しておいたほうがいいのかもしれません。

 

2月1日(火曜) 深夜

 寒波がきてるので寒い(当たり前ですな)。

 なので今日は、風呂に入らないことに決めた。妙な罪悪感があって楽しい。

 人生を精一杯楽しんでおります。

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 会社帰りの駅ホームで電車を待っていたら、見知らぬ男が会釈しながら話かけてきた。

 「あ、どうもお疲れさまでーす」

 全く見覚えのない顔だったが、何処かで会ったことがあるのかもしれない。ひょっとすると他部署の人だったりする可能性だってある。

 ここで無視して無礼者と思われてもいけないので、ぼくのほうも曖昧な笑みを浮かべながら、「あ、どうもー」と会釈し返したところ。

 その男は眉をしかめてぼくを一瞥し、そのまま背後にいる別の男と喋りはじめたのだった。ああ、やってもうたがな!! あまりの恥ずかしさに思わず胃液がこみあげてくる。う、うへえっ!!

 「こうなればいっそ」とばかりに、ニヤニヤ空笑いを浮かべつつ、スキップしながらその場を退散したわけでありますが。

 思い返せば、以前にも一度、同じようなことがあったような気がする(この日記にも書いたっけか)。

 今後こういうことがあれば、「会釈とも首体操ともつかない微妙な動作」にて切り抜けることにしようと心に決めた本日。

 さっそく自宅で練習しております。まるで舞妓さんのような動きです。

 


およそ番目です。

   2005年1月のプチ日記 

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