2005年9月のプチ日記

9月30日(金曜) 深夜

 「おさかな天国」の曲をかなり激しく思い出しております。

 「♪さかなー、さかなー」というサビに始まり、「魚は体にいい」「魚を食べると頭が良くなる」云々を歌いあげる例のやつである。なんで今頃、こんなものを突然激しく思い出すのか自分でもてんで分からないが、思い出してしまうものは仕方がない。ぼくの人生など、しょせんはこの程度のものである。

 それはさておき、「魚が体にいい」ってどういうことだろう。野菜だって体にいいと言われているし、豆類だって同じくである。

 目の敵にされている塩分だって、人間の生存に必須という点では「体にいい」と言える。人体に必要不可欠というなら鉄分などもそうだろう。だったら「おしょうゆ天国」や「鉄天国」といった曲が登場したっていいハズではないか。

 「♪おしょうゆー、おしょうゆー 塩分はぼくたちに必要なんだー 体にいいんだよー」
 「♪鉄ー、鉄ー、鉄はぼくたちに必要なんだー 体にいいんだよー」

 というか、どんな食物も大切なのは結局バランスである。お魚だって、一日に30匹ずつ食べていたら、おかしな病気になってしまうに違いない。

 …こう考えると、究極の曲のタイトルは「バランス天国」ということになる。

 バランス天国。 ああ、こんなセコい天国はイヤでござる。

 

9月29日(木曜) 深夜

 通勤電車にて。

 警備員と思しき人が、当たり前のように居眠りしながら座っておられたのでちょっと驚いた(座ってるのが悪いとかじゃないので念のため)。

 おそらく警備員の方も通勤途中なのだろう。着替えるのが面倒だから、家を出るときから警備員ルックだったのかもしれない。

 しかし制服は「記号」であるから、着ているだけで「意味」が生じてしまう。何をしても、「警備員の行為」になってしまうのだ。

 どれもこれも、なんとなくイケナイ気がするのはぼくだけだろうか。

 そういや、京都では以前、舞妓さんのレンタル衣装を着た若者の歩きタバコが問題になったことがある。これなども「舞妓」という記号の意味が曖昧になるのを恐れてのことだったのだろう。本物の舞妓さんを見た観光客が「ああ歩きタバコのギャルね」などと思ったらコトであると。

 警備員の場合もこれと同じく、「ああ電車で居眠りしてる人ね」なんて思われたら、警備効果が半減してしまうのではないか(いやまァ、実際の警備員なんて、そんなもんのような気もいたしますが)。

 もし警備員のレンタル衣装があったら、着用してエロ本の立ち読みなどしたいと考えております。

 こんなことだから、叱られてばかりなのか。

 

9月28日(水曜) 深夜

 辛い食べ物が好きなAさんという上司(40代男性)がいる。

 とくにトムヤムクンやグリーンカレーなどのタイ料理系が好物とのことだった。

 そんなAさんが少し前、首の痛みに悩まされて病院を受診したらしい。で、レントゲンやら血液検査やらをひと通り受けたのち。

医師:「こりゃあ椎間板ヘルニアですね」
Aさん:「そうですか…。原因とかあるんでしょうか?」
医師:「言ってしまえば、カレーが原因でしょうね」
Aさん:「そうですか…。カレーですか…」
医師:「まァ、くれぐれも無理なさらないように」

 自分の辛いもの好きが災いしたのかとガックリ肩を落としたものの、「でもさすが専門医。ちょっと診ただけで患者の食生活まで分かるんだ」と妙に感心したAさん。以降しばらくは「カレー絶ち」して治療に専念したんだとか。

 で、次の診察時。

医師:「うん、順調によくなってます」
Aさん:「ありがとうございます。カレーは一度も食べてませんです」
医師:「え? 」
Aさん:「原因だったカレーはもちろん、辛いものはだいたい控えてました」
医師:「すいません、よく分からないんですが…」
Aさん:「だって先生、カレーが原因っておっしゃったじゃないですか」
医師:「カレーではなく、加齢が原因だろうと申し上げたんです」

 …という経緯があって、当のAさんはすっかり医療不信に陥ってしまったのでした。いやー、こんなバカみたいな話が本当にあるもんなんですねえ。

 それにしても、診察のときに突然「カレーは食べてませんです」なんて言われた医者の心中やいかに。

 医師の手が精神科への紹介状に伸びなくてヨカッタですね、Aさん。

 

9月27日(火曜) 深夜

 そういや少し前のニュース番組で、わが国の最高齢者(112歳女性)が紹介されていたわけですが。

 TVカメラに向かってにっこり笑う彼女の姿を見て、「よかったよかった」と思わず胸をなでおろしてしまった。なんとなれば、延命技術が進んだ今の世の中、わが国の最高齢者が 「意識不明の寝たきり老人」だという可能性だって大いにあり得るからである。

 たとえば敬老の日には、決まって最高齢の老人が紹介されるけれども。

 ここで御本人が意識不明のスパゲティ・チューブ状態だったらどうだろう。

「はーい、こちらが日本最長寿の○山トメさんですー!」
「ヒュゴーッ、ヒュゴーッ…」
「ご高齢になっても、たくましい人工呼吸器の音ですねー!」
「ヒュゴーッ、ヒュゴーッ…」
「なにか一言、お願いします!」
「ジュルジュルジュルジュルッ!」(痰が吸引される音)
「いやー、最高齢とは思えない痰の音です。おまけにカテーテルの尿もお元気で何より。この色の濃さを見てください!」
「ジュルルル…」
「では○山トメさんには表彰状を進呈したいと思いますっ」
「ヒュゴーッ、ヒュゴーッ!」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました!!」

 あるいは御本人が完全にボケておられたらどうだろう。

「はーい、こちらが日本最長寿の×川次郎さんですー!」
「うがあーっ! ワ、ワシのさいふを返せー!!」 ポカリッ!(インタビュアー殴られる)
「な、なにをなさるんですか!? ともかく、おめでとうございます!」
「ワシをここから帰してくれえー!! うぎゃあーー!!」
「なにか一言!!」
「メシはまだかあー!!」
「表彰状を進呈しますので!!」
「うががががあーっ!!」(またたく間に表彰状を食べてしまう)
(あわてて医師が登場)「は、はやく鎮静剤を注射するんだ!!」

 医療の進歩が大衆の娯楽にならぬよう、ますます油断できない社会になってきましたな。今後どれだけ人工臓器なんかが発展しても、脳ミソに寿命がきてしまったらこれ、どうにもこうにもならしまへんわけで。

 いっそ脳ミソも新しい人工脳ミソと入れ替えるか。それじゃ単なる「老人の風貌をした普通のロボット」だけど。

 

9月26日(月曜) 深夜

 某民放のバラエティ番組で、「イザリウオ」という魚が紹介されていた。

 面倒な人たちが「差別用語だ!」とか一斉に抗議して対応に困ってるんじゃないかねえ…と、他人事ながらついつい心配してしまったのだが、その後もお詫びのテロップが流れなかったところをみると、世の中まだ大丈夫なのかもしれない。

 しかし、動物の名称に放送禁止用語が含まれているせいで、放送局側が苦慮する場合も結構あるようだ。気になったのでネットで検索してみただけでも、上述の躄魚(イザリウオ)を筆頭として、唖鮫(オシザメ)、白子鳩(シラコバト)、盲鰻(メクラウナギ)、傴黒鮟鱇(セムクロアンコウ)等々、出てくること出てくること。

 ついでに言うと、盲(めくら)と唖(おし)とかって、そのまま入力しても漢字変換されないのな。パソコンのソフトメーカーまでもが自主規制してやがるのか。腹が立ったので、片っ端から単語登録しておいたけど。盲、盲、唖、唖!!

 せっかくなので、今回登場した動物たちの名称を、「推奨される言い換え」にしてみましょうか。

【現在の名称】

【推奨される言い換え】

躄魚(イザリウオ) 足の不自由な魚(アシノフジユウナウオ)
唖鮫(オシザメ) ろうあ鮫(ロウアザメ)
白子鳩(シラコバト) 白皮症鳩(ハクヒショウバト)
盲鰻(メクラウナギ) 視力障害鰻(シカクショウガイウナギ)
傴黒鮟鱇(セムクロアンコウ) 猫背黒鮟鱇(ネコゼクロアンコウ)

 ちびっ子たちが「わー、めくらうなぎだ!」なんていうのはご法度もいいところ。今後は「わー、視覚障害鰻だ!」と言うよう、教育を徹底すべきであります。

 というか、「めくらうなぎ」と「視覚障害鰻」。後者のほうが差別的なニュアンスを感じるのはぼくだけだろうか。いままで暮らしの中に浸透していた言葉を、無理やり新しい言葉に置き換えるほうがよほど、当の障害者たちを「世間のかやの外」に押しやろうとしているように思えるのだけれど。

 まあいいや。「推奨される言い換え」のほうが、いろんな社会の歪さが含蓄されて味わい深いですし。

−−−

 てなわけで、結局ぼくが言いたかったのは、「ハゲタカはどうして差別用語じゃないんだよ!」という私怨なのでした。

 差別がダメなんだったら、ハゲタカだって「毛髪量が控えめなタカ」にしたらどうなんだ! 畜生!!

 もとい。「畜生」もそのうち差別用語になるかもしれないから…。 生けとし生けるもの!!

 

9月25日(日曜) 夜

 本日の写真です。

 たそがれどきの駅ホームにたたずむ少女。もの憂げな雰囲気が「ちょっといい」光景でありますが。

 向かいの病院の窓からたれさがっている布団のおかげで、すべてが一挙に台無しである。ああ恐ろしい。布団がこのような破壊力を秘めていることに、我々はもっと心の備えをしておくべきではあるまいか。

 どんな場面であっても、背後に布団が干してあるだけで様相は一変してしまうのだ。

 こんな調子であるから、我々も口論するときなどは、背後に布団がないかどうかをまずチェックするべきである。さもないと、「布団を背にして将来の夢を語る」「布団を背にして別れ話になる」といった悲劇が起きるかもしれないのだから。

 ところで上の写真、病院の名前が中東医院というのも、「おぬし大きく出たな」という感じですな。中東諸国を代表する病院でしょうか。医院のくせに。おまけに布団まで干してるくせに。

 …ええと、そういうわけじゃないことは分かってますので、ご指摘はご容赦下さると嬉しいです。

 

9月23日(金曜) 深夜

 最近、鼻毛をカットする回数が増えている気がする。

 ちゃんと数えているわけではないのだが、学生時代は年に数回だったのが、就職してからは毎月になり、現在では1〜2週間に一回は切っている始末。

 それに伴って、鼻毛カッターの置き場所も変遷してきた。当初は机の引き出しの奥にしまっていたのが、次第に手前のほうに移動してきて、ついには机の上に置きっぱなし状態になってしまった。その代わりに、今まで卓上に置いていた英和辞典が本棚の奥へと追いやられて。

 生活がどんどんダメなほうに向かっているような気がするのは思い過ごしだろうか。 

 そういや少し前、切りすぎるから伸びるのかもしれないと考えて、なるべくカットしないよう試みたことがある。

 ただ、切らないとテキメンに伸びてくる。そのまま会社に行くのも情けないから、伸びた鼻毛を押し込んで出勤したのだが(無理やりオールバックにするわけである)、会社に着くころには既にチロチロとお出ましなすっていた。 うわー、どうするよ。

 てなわけで、同僚が出払ったすきを見てハサミでチョキチョキ切っていたら、とつぜん同僚が帰ってきたワケでありまして。さいわいドアの音で気配を察し、見つかる前にハサミを片付けて事なきを得たのだが、悪いのはその後だった。

 数時間後、同僚の女子社員から「ちょっとハサミ貸してもらえませんか?」と言われたぼくは、ついつい自分のハサミを渡してしまったのだ。その先端に鼻毛が付着していることなどすっかり忘れていたまま…。

 「あれ? このハサミ、なんか付いてますね」
 「え? あ……」
 「い、いえ、すみません名倉さん! だいじょうぶです!!」
 「ちょ、ちょっと返してもらえますかっ!?」

 いま思えば、なにがどう「だいじょうぶ」だったのかよく分からないが、ともかくこれが、発作的に辞職したくなった二回目のエピソードなのでありました(一回目は静まり返った社員食堂でおならをしてしまったとき)。

 ハサミ事件の後も、この女子社員はいままでと変わらぬ態度で接してくれているが、裏では何を言われているか分かったものじゃない。今ごろすでに、全社員に知れ渡っているんではないか。「名倉さんにハサミ借りたら鼻毛が付いてた」って。

 それまでは社内会議なんかでも結構ズバズバと自分の意見を言っていたのだが、この事件が起きてからは、なんとなく遠慮しがちになってしまった。だってそうだろう。「ハサミに鼻毛が付いてた奴」がいくらズバズバ指摘したところで、笑いをこらえられるのが関の山である。

 鼻毛に翻弄される人生。こうやって人生から深刻味がなくなっていくのは、いいことなのかもしれませんが。

 

9月22日(木曜) 深夜

 異種格闘技って興奮する。

 現実レベルでは「K-1」や「プライド」といった格闘技が人気であるが、これは映画界とて同じこと。「ゴジラ VS モスラ」や「フレディ VS ジェイソン」といった作品に興奮した先輩たちも多いだろうし、「エイリアン VS プレデター」に至っては、異種格闘技ここに極まれりといった感さえあった。

 ただ、ぼくのような第二次ベビーブーマ男児にとって、なによりも異種格闘技の俎上にのせてほしいのは「機動戦士ガンダム」である。

 ああ、ガンダム。ああ、アムロ・レイ師匠。ぼくたち小学生の頃から、「ガンダム VS ザブングル」なんていう設定でロールプレイをやっておりました!!  こんな憧れのガンダムが、いろんな敵と戦ったら、いったいどちらが強いんだろう!?

 そこで今回は、ガンダムが登場する異種格闘技の映画をいくつか考えてみた次第でありまして。

◆「機動戦士ガンダム VS みつばちマーヤ」
「どうして僕たちは戦い合わなくちゃならないんだ!!」というアムロの悲痛な叫び(もっともな疑問ではある)。しかし非情にもビームサーベルはマーヤに振り下ろされ……。「こいつは危ないや!」と身の危険を感じたマーヤは、ガンダムの背中にしがみつく作戦に打って出る。「ここなら安全だぞ!」。以来マーヤは 、ガンダムの背中に巣をつくって平和に暮らしましたとさ。
【勝負】:引き分けだけど、マーヤの判定勝ち。昆虫の生命力を知らしめられますな。

◆「機動戦士ガンダム VS ミナミの帝王」
ガンダムのコックピットにたたずむアムロを見上げながら、「ウチらも慈善事業でやっとるワケやないですからのぅ」とスゴむ竹内力。「ガンダムはんを質屋に入れてもらいまひょか…」。反射的にビームライフルの引き金をひいてしまったアムロ・レイ、竹内力は跡形もなく消えてしまいました。
【勝負】:ガンダムの勝ち。ガンダムがあれば借金を踏み倒せる。

◆「機動戦士ガンダム VS 釣りバカ」
当然ながら魚釣りでの勝負になるが、ガンダムの巨大なアームで釣竿をコントロールするのはさしものアムロにとっても至難の業。とうとう音を上げたアムロ、「やっぱりモビルスーツ戦で勝負しませんか?」と提案するが、ハマちゃん(西田敏行)は「釣りのほうが面白いぜ」とまったく相手にしない。仕方なく釣りでの勝負を続けるが、もちろんアムロに勝ち目はなく…。
【勝負】:ハマちゃんの圧勝。ニュータイプの弱点は魚釣りだった。

◆「機動戦士ガンダム VS ピカチュウ」
ピカチュウがぼんやりしてるうちに、ガンダムに踏み潰されておしまい。全5秒の短編アニメ。
【勝負】:ガンダムのKO勝ち。ガンキャノンでも勝てる。

◆「機動戦士ガンダム VS 戦国自衛隊」
ひょっこりタイムスリップして戦国時代にやってきた日本国自衛隊。成り行きで戦国武将と戦っていたら、突然ガンダムまでもがタイムスリップしてきて大混乱。「無駄な殺し合いはやめろォー!」「みんなみんな死んじゃえばいいんだー!!」などと叫びながらビームライフルを乱射するガンダムが相手とあっては、自衛隊も戦国武将もなすすべなく立ち尽くすのみ。気がつけば地球も爆発して、その瞬間、ガンダムも「存在のパラドックス」にて消失したのでした。
【勝負】:みんな負け。徹底的に平等なので教育映画としてもオススメです。

◆「機動戦士ガンダム VS 和田アキ子」
「ガンダムよりも和田アキ子のほうが大きかった」というベタな展開が期待されるも、実際にはガンダムのほうが断然大きくて。ガンダムのキックによって哀れ和田アキ子、内臓破裂で即死しましたとさ。
【勝負】:ガンダムの勝ち。現実はそう甘くないのです。もちろんガンキャノンでも勝てます。

◆「機動戦士ガンダム VS 石原慎太郎」
ガンダムの存在に危機感を抱いた石原知事、「ガンダム関連の予算はすべて打ち切る!」と早々に明言・実行したためガンダムは燃料を入手できなくなり。燃料代を稼ぐためにマクドナルドでアルバイトを始めたアムロ・レイであったが、視察に訪れた石原知事からポカリと殴られて、バイトする気力も失せてしまいました。
【勝負】:石原慎太郎の勝ち。

◆「機動戦士ガンダム VS ドラえもん」
スモールライトで一瞬にして全長10センチくらいにされてしまったガンダム。これを見つけたジャイアン、「いいもん持ってんじゃんか」と横取り。のび太は必死に「返してよー!と泣きつくが、返してもらえないまま一週間が経過。身長数ミリになってしまった哀れアムロは、誰にも気づかれないままガンダムの中で餓死してしまいました。
【勝負】:ドラえもんには誰も勝てません。 ドラえもんファンとしては、「どこでもドア」に通されたガンダムが、しずかちゃんの入浴シーンに闖入してしまう場面も見たいところです! 

 こういう映画が見たいのですが、どうですかねえ。

 

9月21日(水曜) 深夜

 ウチの近所のお地蔵さんは、ゴミ収集場所に指定されている。

 おかげで毎週、お地蔵さんの前には「ゴミの山」ができる。本来ならお供え物のひとつでも置くべきところ、みんな何食わぬ顔してゴミを捨てていくのだ。

 いやまァ、お地蔵さんたるもの、市民にご利益を与えてナンボである。こうしてゴミ捨て場として貢献しているのは、使命をまっとうしているのだと見ることもできる。

 というか、どんな世界においても「蓼食う虫も好き好き」、ゴミが好きで好きで仕方がないというマニヤックなお地蔵さんだって中にはいらっしゃるかもしれない。犬の聖水や黄金が大好きといった、いささか倒錯したお地蔵さんがいたって不思議ではあるまい。

 …などと考えつつ、ぼくも当然のようにゴミをお供えし続けておったわけですが。

−−−

 先日、上述のお地蔵さんの前を通りがかったら、こんなことになっていた。

ゴミ地蔵とホームレスの人

 ホームレスの人が、お地蔵さんの前のゴミを漁っていらっしゃるではないか。

 しばらく見ていたところ(我ながら悪趣味だ)、どうやら食物や酒の残り、アルミ缶といった資源を集めておられるようだった。

 …なるほど、こういうことでしたか!!

 お地蔵さんといえば、これすなわち地蔵菩薩。つまるところ、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の生きとし生けるもの全てを救済してくださるという、まことに有り難いお方なのでありました。

 市民を救い、ホームレスの方を救い、そしてカラスまでをも救ってくださる地蔵さま。ゴミの山。

 こう考えると、今回掲載した上の画像は、仏教の思想を如実に現した崇高な写真と言えますな。

 皆さまもよければ、プリントアウトして仏壇などにお飾りくださいませ。ああ、我ながらありがたい写真じゃ。

 

9月20日(火曜) 深夜

 本日のゴーヤ君です。八百屋にて。

 イボイボの胴体、カリっとした頭部…。いえ、他意はないのであしからず。

 腕があるのがまだしも救いですな。

−−−

 琵琶湖で釣ったブラックバスは「キャッチ&リリース禁止」と聞いて、ふと思い出したこと。

 少し前のことだが、自称プレイボーイのK君という知人(釣りが趣味)が言っていた。

 「ちなみにオレ、女に関してもキャッチ&リリースだからね」

 …ちょっと待て。キャッチ&リリースといえば何となく聞こえがいいけれど、それって単なる「やりにげ」だろう。「やりにげ」って言え!!

 いつも「パンくず撒いておしまい」だったぼくは、何を言っても負け惜しみだと思われそうなので、なにも言えませんでしたけどね。

 釣り針がなかったんですよ。釣り針が。愛をひっかけるための釘が。

 いやまァ、エサもパンくずだったわけですが。そりゃ魚もルアーになびくわ。

 

9月19日(月曜) 深夜

 小学4年生のとき、セックスという行為の存在をはじめて知った。

 そのとき反射的に思ったのは、「ややこしいコトするんやなあ!」だった。

 だってそうだろう。男女お互いに「両足の付け根」という、最も奥まった場所どうしを合体させなきゃならないんである。生殖器という代物は、どうしてこんな難しい場所にあるのか? 人類が進化した動物であるなら、もっと簡単に結合できるよう設計されてしかるべきではないか? ライオンとかにも襲われやすいから生存に不利ではないのか? …と。

 そして当時のぼくは、下図のようなセックスが理想だろうと考えていた。

理想のラブシーン

 でも、人類のセックスが本当にこんな代物だったら、「すれ違いざまにコッソリ注入して相手を妊娠させる」不届きな野郎どもが氾濫して、たいへんなことになってしまうだろう。お互いの同意がないと簡単には結合できない仕組みこそが進化であることを理解したのは、その後ずいぶん経ってからのことだった。

 というか、ラブシーンがこんなのだったら、TVドラマも映画も成立してなかったかもしれませんね。

−−−

 関係ないけど、犬が主人公の恋愛ドラマなんかだと、ラブシーンはやはり「ワンワンスタイル」なんでしょうかねえ。

 

9月17日(土曜) 夜

 最近、他人の「ぺんダコ」が気になって仕方がない。

 こっそり見ようとするも、ちっとも見えないのでイライラが募るばかり。

 やはり正面切って、「ペンだこ見せてもらえませんか?」と頼むしかないのか。いや、無理だ。

 失いたくないものがまだあることに気づかされた本日。ペンだこのおかげで。

−−−

 自分で言うのもナンだが、ぼくは職場では、「他人の悪口を言わないイイ人」で通っている。

 たしかに他人の悪口はあまり言わないのだが、それは、口にしたら人間性を疑われるようなヒドいことばかり考えているから。喋れるようなちょうどいい悪口が頭に浮かばないから、黙っているしかないんである。

 今日も職場で、50代の女性と交際している30代の男性社員の話題が出てた。

 ぼくは黙って聞いていたんですが、内心では「ネクロフィリア」という言葉ばかりが頭に渦巻いて。

 善人は喋らなくていいので、楽でいいです。

−−−

 ちなみに、昨日の日記で紹介した「錦寿司・うどん」ですが。

 寿司とうどんの専門店というのもおかしな話なので、きっと、「うどん」という名前の寿司屋なんだと思います。

 いや、それとも「錦寿司」という名前のうどん屋か。ちがいますか。

 

9月16日(金曜) 深夜

 ご近所のうどん屋さんであります。

 鮮血を思わせる真っ赤な文字色、そしてウイルスの増殖を連想させるアウトブレイキーなにじみ。…うどんのくせに、このおどろおどろしさはなんだ!?

 恐怖のスプラッターうどん。パニックホラーうどん。ああ、ぼくはうどんに、こんなものを求めているんじゃあない。うどんってヤツは本来、「おれの人生ってほんと変わり映えないよなー」「今日は帰りに本屋でも立ち寄ってみるか」などと雑念しながら、ズルズルすする代物ではなかったか。

 ちなみに店内をこっそりのぞいてみたら、客が食べてるうどんはごく普通のもので、ちっとも恐くありませんでした。

 というか、うどんに対する感想が恐くなかった」というのもどうなんでしょうかねえ。

 「だいじょうぶ。この店のうどん恐くないから!!」

−−−

 ところで、恐いうどんってどんなのだろう。

 個人的には、最後のがいちばん恐いです。どうってことのない話ですみません。

 

9月15日(木曜) 深夜

 本日の電車吊り広告。

 いくら自己言及とはいえ、きちがい呼ばわりはマズいんじゃないでしょうか。ここまでぶっちゃけられても困る。

 いや、そういうことじゃないですね。すみません。自分で自分を責めたい。

−−−

 さて本日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「錦玉堂の後日談」。前回、四条寺町にあるタバコ屋を取材した後日談を載せてます。いちど取材した店って行きにくいですねえ。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 

9月14日(水曜) 深夜

 入浴した直後にウンコをすると、なんだか損した気分になる。

 …という箴言、いまや「ベタなネタ」の代表格として有名でありますが。

 思い返せば、この箴言をはじめて耳にしたときから「ベタ」だった気がする。ひょっとすると、このネタ、実は江戸時代なんかでも「ベタ」扱いだったのではないか?

 「釜風呂にへえってすぐ、厠でクソをひるってえと、なんとも損した気になるのう」
 「おまえさん、そりゃあちょいとベタなんでないかい? おらの爺も言うとったべ」

 こんな言葉遣いではなかったと思うけれど、雰囲気としてはこういった会話が、いたるところで繰り広げられていたのではないか。

 何の根拠もなしに、テキトーなこと書いてるなと自分でも思います。すみません。

−−−

 『パズル・コレクション』創刊号のCMで知った、「ハノイの塔」というパズル。

 ちょっとおもしろそうだったので、ネットでフリーソフトを検索してやってみたら、今日一日ずっとハマってしまいました。雑誌を買わず、ついついネットで探してしまうこの悪癖。

 ダウンロードサイトはこちら(新しいウインドウが開きます)。

 最初はけっこう手ごわい印象で、「こりゃあやりがいがあるぞ!」と気持ちを膨らませながら必死にプレイしておったわけですが、しばらくやっていたら、ものすごく単純な法則で機械的に解けてしまうことが分かって気が抜けました。

 よければひとつ、挑戦してみてください(パズル・コレクションでは7段でやるのが正式のようです。ぼくはヒマなので8段までやりました)。

 ちなみにこのパズル、脳の前頭葉機能のトレーニングにもいいそうですが。

 法則が分かると、好奇心が怒りに変わります。感情の自己コントロールという、前頭葉にとって肝心の機能がアップするかどうかは甚だ疑問です。

 

9月13日(火曜) 深夜

 ようやく体調が完全に回復。

 元気になると、ビールが美味しく飲めるからいいね。

−−−

 ところで、「酒は百薬の長」などとよく言われますけれども。

 病気で体調を崩しているときは、たいてい酒など飲む気にならないものだし、飲んだところで余計に気分が悪くのがオチである。というか、本当に百薬の長だったら、保険診療の中でも「医薬品」として、3割負担の料金で処方を受けられて然るべきではないか。

「先生、ちょっと熱があって喉も痛いんです…」
「ウーン、こりゃ扁桃腺が炎症を起こしとるね」
「そうなんですか」
「とりあえず缶ビール3本出しとくから。1日1本だよ」
「先生ありがとうございます」

 こんな医者がいたら、それこそ大繁盛で行列ができることだろう。が、こんな話は聞いたことがない(あるなら紹介してほしい!)。

 いやまァ、このような格言は、ちゃんとした薬がなかった時代のものなのだろう。が、それにしてもだ。「酒を飲んでいれば健康」というより、「健康ならおいしく酒を飲める」という、逆の因果ではあるまいか。毎日ビール1缶であっても、飲めない体質の人にとってはこれ拷問、そのうち心身ともに疲弊してしまうにちがいない。

 そもそも昔は、酒など毎日飲むものではなく、たまのハレの日に浴びるほど飲むだけの存在だったはず。

 薬につきものの副作用が「百薬の長」というなら、まだ分かるけれど。

 とにかく、健康のためとか考えて飲む酒など、ちっとも美味しくないよということでした。

 「適度のアルコールを摂取する群は、そうでない群に比べて、心疾患の発症率が低くて云々」なんていうデータも、つい疑いの目でみてしまう。ほどほどに酒を飲む人なんて、それ以外の生活全般が「ほどほど」っぽいし、ストレスも少ないだろうし、だからこそ病気になりにくいんじゃないか。

 以上、主観的クリティカルシンキングでした。正確には「負け惜しみ」と表現します。

 

9月12日(月曜) 深夜

 昨日はもちろん、選挙に行ってきました。

 「日本国民であるなら、政治に無関心なのはよくないですから!」

 …選挙に行ったかどうか聞かれて、このように答えるためだけに、わざわざ投票してきた次第なんですが。

−−−

 ところで近頃、医療器具の分野にもデザイナーズブランドが進出しているらしい(ベネトンの補聴器とか)。

 考えてみれば、今までの医療器具が実用一辺倒すぎたのかもしれない。もともと単なる視力補正器具だったメガネが、時代とともにファッションアイテムへと変遷していったように、それ以外の器具だって、「身にまとうもの」としてデザイン性がもっと重視されてもいいのではないか。

 デザイナーが妙に自己主張して実用上の問題が出てきたら、プレーンな製品にブランド名だけプリントしておけばいいと思います。

 ちなみに小生が使っている包茎矯正リングは、京都「よーじや」のやつです。うそです(そんなもの付けてません。念のため)。

 

9月11日(日曜) 深夜

 友人T君が以前、こんなことを言っていた。

 「オクラって美味しいけど、あの白い玉だけ大量に食べろと言われたら嫌だねえ」

 今までずっと、この言葉が心のどこかで引っかかっていた。確かにそんな気もするし、でも意外と美味しいかもしれない。ぼくもオクラは結構好きなだけに、実際のところどうなのか気になっていたのだ。

 でも、いくら考えたって答えは出ない。となれば、ここはひとつ実際にやってみようじゃないか。

 …というわけで今回は、「オクラの白い玉だけ大量に食べてみた」レポートです。

−−−


熊本県産オクラ。1ネット100円なり。
 
◆2ネットぶんを食べることに

普段なら1ネットでも食べ応え十分なオクラだが、今回は「白い玉」だけに焦点を当てるわけである。

そこで念のため、2ネットぶんを調理して食べることにした(1ネットあたり8本入り)。

3ネットにしなかったのは、オクラばかり24本も食べたら体に悪そうだからである。いま下痢で体調崩してるし。

で、鍋で茹でること1分。茹で上がったらヘタを取って下ごしらえ終了。
 


茹で時間1分。これ位でいいのかいつも迷う。
 

ヘタを一挙に切断する。「オレって男らしいな」と感じるひととき。
 

作業開始当初。1本あたり3分も所要。…どうやったら、うまく取り出せるんだよー!?
 
◆「玉取り作業」がみるみる上達

次はいよいよ、白玉だけを取り出す作業である。

が、これがなかなか難しい。当初は一本ずつ包丁を入れて、一列ずつ白玉を取っていたのだが、この方式だと1本あたり3分くらいかかってしまう。

あまりにじれったいので、いろいろ試行錯誤してみた結果、「爪楊枝で表皮の一辺を裂き、内壁をすべて削いたうえで、一挙に白玉をこそぎ落とす」のが効率的であることに気づく。

そしてテクニックはみるみる上達して。当初は一本あたり3分かかったのが、最後には20秒以内でこなせるようになりました。

このテクニック、今後も生かせる機会があるのかどうか……。
 


爪楊枝を使うと効率がいいことに気づく。所要時間1分以内に短縮。
 

だんだん慣れてきて、白玉だけをまとめてこそぎ落とせるように。1本あたり20秒以内!!
 

オクラが緑色の魚介類に思えてくる。
 
◆3種類に分別されたオクラ

オクラは「表皮」と「内壁」と「白玉」の3種類に分別されることを発見。

とりあえず、まな板の上に並べてみる。…うーん、「オクラをさばいた」という妙な満足感というか空虚感というか。

オクラたちもまさか、自分がこんな風に調理されるとは思っていなかっただろう。申し訳ない。

で、今回のテーマ、「白玉だけ大量に食べろと言われたら」でありますが。
 


「こちら、オクラの白玉になります。お召し上がり下さい」
 


知らない人が見たら「なんじゃこりゃ」ですな。
 
◆せっかくなので3種類とも食べてみる

「白い玉だけ食べてあとは捨てる」というのも勿体ないので、3種類とも食べてみることにした。

こうして見るかぎりでは、内壁部分だけが突出して少なくて「珍味」っぽい。白い玉は「卵」みたいである。表皮部分はさしずめ「普通の肉」といったところか。

なんだか「オクラづくし」みたいで妙な気分であるが、ともかく食べてみることにする。鰹節しょうゆにて。

さて、お味のほうは…。左から順に寸評を。
 


鰹節しょうゆにすると、それっぽくなった(気がする)。
【表皮部分】
ごく普通のオクラです。クセの全くないオクラというか。目をつぶって食べたら分からなさそうだけど、なんとなく味が平坦で物足りないような。

【内壁部分】
美味い!! トロリと溶けそうな甘みと舌触り。そしてオクラ本来の風味もしっかりある。これだったら大量に食いたいなァ。…でも、量が少ないから有り難く感じるだけかもしれません。

【白玉部分】
…エグいです。食えなくはないけど、どうも箸がすすまない。外見がタピオカみたいなので損している部分もあるが、それを差し引いても今ひとつ。これだけ大量に食えと言われたら、確かにイヤだ。
 

 みなさまもよければ、お試しください。

 

9月10日(土曜) 深夜

 昨日は体調が急変して、ずっと寝込んでました。高熱+下痢の症状からすると風邪か食中毒か。

 体温を測ってみたら、最高で39度7分あった。…大台の40度までもうちょっとじゃないか。

 そこで、熱にうなされながらも気力をふりしぼって、寝返りを繰り返したり意味なく起き上がったりして「大台」に乗るべくがんばってみたのだが、けっきょく熱はそれ以上あがらなかった。そして精根尽き果てて、気がついたら朝になっていた。

 「体温計を見ると余計にしんどくなるからダメ」という人がたまにいるけれど、ぼくのように「体温計を見ると記録に挑戦してみたくなる」のもちょっと。

−−−

 下痢のほうも、けっこう大変なことになっておりまして。

 びろうな話で申し訳ないけれど、トイレに行くたびに、液状のうんこがザーッ勢いよく流れ落ちる。まさに「滝のような」と形容するにふさわしいうんこなのだ。

 滝のようなうんこ。

 こういった修飾−被修飾の関係は「逆もまた真なり」である。

 ナイヤガラの滝なんかを目の当たりにしたら、「まるで下痢みたい!」と感激するのかもしれません。

−−−

 なお、体調を崩しても、解熱剤や下痢止めはむやみに飲まないことにしている。

 これは信仰上の理由からである(科学教)。熱が上がるのはインターロイキンなどの免疫関連物質が活性化してる証拠であり、下痢になるのは細菌などの有害物質を早く体外に排出しようとする自然の働きである、という教えを割と律儀に守っているわけでありまして。

 おかげで現在、体調は順調に回復して、体温もほぼ平熱に下がっています。信仰もたまには役に立つ。

 病院は嫌いなので、この程度では絶対行きません。長い時間待つだけのために病院行ってる人をみると、律儀だなァとは思いますけどね。

 

9月8日(木曜) 深夜

 職場でH君(若いバイトの男の子)とお茶について雑談していた。

 ぼくは冷たいお茶が好きなので、家で飲むお茶も冷蔵庫で冷やしている。それに対してH君は、冷やさずに常温のまま飲んでいるという。

 で、冷や茶党のぼくとしては、「お茶は冷やしたほうがいいよ!」と懸命に説得していたわけですが(余計なお世話だ)。

 会話が進むうち、次のような事実が明らかになってきた。

  1. H君は毎回、1リットルずつお茶を沸かしている。
  2. なので冷蔵庫で冷やす前に飲み切ってしまう。
  3. 2リットル沸かせばいいようなものだけど、
  4. 自宅(下宿)の冷蔵庫が小さいので2リットルボトルは入らない
  5. したがって、お茶を冷やして飲むのは困難である。

 そして最後は、「名倉さんは正社員だから大きな冷蔵庫を買えるし、2リットル沸かしたお茶を冷やせるんですよ!」「どうせ僕はバイトだし、1リットルずつしか沸かせない生活なんですよ!!」と、妙にダークな展開になってしまい。重くのしかかる長い沈黙。うわあー。

 小さな尻尾の先端をたどっていったら恐竜が出てきたような、なんとも恐ろしい体験でした。

 みなさんも、お茶の話題にはどうかお気をつけくださいませ。

 

9月7日(水曜) 深夜

 外人女性のパンチラって、見えても嬉しいのか嬉しくないのかよく分からないですな。

 なんか「パンツじゃないもの」に思えるのは偏見だろうか。

−−−

 ところで先日、ある有名な大学教授がこんなことを言っていた。

 「大学教授っていう連中はね、とにかく自慢したがるヤツが多いの」
 「でも僕は自慢するのが大っ嫌でね。自慢だけはするまいって決めてるの」

 ちょっとアナタ、そういうのを「自慢」っていうんじゃ…。

 ほんとに自慢するのが嫌いなら、ただ単になにも自慢しなけりゃいいだけの話である。なのにわざわざ自分で言うからおかしなことになってくる。こういうのって「私って謙虚な人なんです」「オレって一言も喋らない男なんです」的な、自己言及の矛盾のいい例ではないか。

 …かくいうぼくは、自己表現欲というものが一切ない人間でありますっ! 皆さんに分かってほしいので強調して書いておきます!!

 

9月6日(火曜) 深夜

 同僚が「いちごミルク味の魚肉ソーセージ」というのを買ってきた。

 
(画像をクリックすると公式サイトのウインドウが開きます)

 店頭で見つけて冗談半分に購入したらしく、ぼくも一本もらって食べてみたんでありますが。

 口に入れたらビックリした。風味は魚肉ソーセージそのままで、いちごポッキーの香りが漂ってくるのだ。これはすごい。

 …いやまァ、この商品は子ども向けに開発されたであり、魚肉ソーセージの味を知らない子どもたちにとっては、さほど違和感なく食べられるのかもしれない。しかし、ふだんから魚肉ソーセージを食べ慣れている身としては、いちごミルクの香りが漂ってくると猛烈な違和感を抱いてしまう。

 ぼくにとって、魚肉ソーセージは「おかず」であり「おつまみ」である。なのに香りはいちごミルク。これどういうことかというと、

 などなどと何ら変わりないワケでありまして。

 小さい頃からこの製品を食べ慣れたチビッ子たちは、大きくなってから普通のソーセージを食べたとき、「これってイチゴの味がしないから不味いー!」なんてことになるのかもしれませんな。で、どんなものにもいちごミルクをかけるようになったりして。食文化における前衛運動。

 そういや高校生の頃、友人の注文した親子丼にこっそりバニラエッセンスを振りかけたら本当に険悪なムードになって、しばらく絶交状態になってしまったことをふと思い出しました。 

 

9月5日(月曜) 深夜

 下の写真、どんな製品の規格かお分かりになるでしょうか?

 答えはトイレットペーパーです。

 「長さ」や「紙幅」といった項目は分かるけれど、「破裂強さ」や「ほぐれやすさ」まであるとは少々驚く。というか、ほぐれやすさって何だ? あまりにほぐれやすかったら、局部がペーパーを突き破って(?)大変なことになってしまうのではないか。

 …と思ってネットで調べてみたところ、どうやら「水に入れたときの溶けやすさ」を示しているらしい。なるほど、たしかに水洗トイレでは重要となってくる項目かもしれないけれど。

 「100秒以内でOK」という測定基準ってどうなんだろう。最後のペーパーをトイレに投じてから100秒も待つのは御免でありますよ。それともぼくが短気なだけで、世の人々はペーパーを使い終わってから100秒以上、トイレに滞在しているのか(体中にウンコ臭が染みつきそうだ!)。

 そして「柔らかさ」といった項目がないのが、実用的というか、そうでないというか。

 

9月4日(日曜) 深夜

 アレルギー体質のせいか、鼻水が垂れて困ることが多い。

 職場で重要な取り引きをしているとき、鼻から突然ドロリ。同僚と議論しているとき、鼻から突然ドロリ。デパートで買い物しているとき、鼻から突然ドロリ。…という具合である。

 もちろん咄嗟にすするのだけれど、鼻水の粘度が低いと重力に抗えず、そのままビローンとなって。で、あわてて手のひらで拭ったら、こんどは長い糸を引いて、ますます情けないことになってしまったり。いくら激しく議論していたところで、鼻から糸を引いていては説得力もへったくれもありゃしない。

 このぶんだといつか、「ここぞという場面」でも鼻水を垂らしてしまいそうで不安になってくる。

 ぼくのようにショボい人生を過ごしていると、「ここぞという場面」というのがどういうものなのか想像しにくいけれど、たとえば弁護士であれば、法廷で「誘導尋問だ!」と叫ぶシーンなんかはどうだろう。鼻から糸を引きながら「誘導尋問だ!」なんて叫ばれても、どうぞお大事にと思われるのが関の山ではあるまいか。

 ところで鼻水の分泌は、副交感神経が優位な状態だと活発になり、交感神経が優位な状態だと抑制される。つまり、心身がだらーんと油断した状態(静養モード)だと鼻水が垂れやすく、逆に心身がピシッと張り詰めた状態(緊張モード)では鼻水が止まるわけである。「鼻風邪をひいていても、大事な場面になるとピタッと鼻水が止まった」という経験をお持ちの方も多いと思うが、これなども交感神経による抑制作用と考えられる。

 ってことは、大事な場面でも鼻水が垂れてしまうぼくは…。あ、いえ、なんでもありません。

 大事な場面なのに鼻水垂らしてるようなヤツは、やっぱり信用しないほうがいいようですな。

 

9月3日(土曜) 夜

 二日酔いなので家でおとなしくしておりますが。

 昨夜どうやら、帰宅してからハンバーグを2個も食ったようである。吐きそうなのに、食い意地だけは張っていたのか。

 なんとなくそんな記憶があるし、実際、冷凍ハンバーグが2つ空っぽになっている。というか、食べたのは確かなのだが、記憶がおぼろげだから、美味しかったという実感がちっともない。なんだか損した気分である。

 「いい経験」って、記憶に刻まれ、人生に蓄積するからこそ、いいのかもしれないですね。って、冷凍ハンバーグなんだけど。

−−−

 ところで、道端に「丸くて銀色のもの」が落ちているのを見ると、つい目がいってしまう自分がいる。

「おっ、50円玉?」

 お金じゃないかと思うからなのだが、たいていはただの金属部品だったりしてガッカリする。

 ふと見れば、周りの人々もけっこう、「丸くて銀色のもの」に視線がいっている。チラッと一瞥して、すぐに目を逸らしているのだが、その一瞬の表情に「なあんだ」という落胆が見え隠れしているような気がする。

 先日などは、「丸くてひらべったい石」にもつい視線がいってしまいました。自分のさもしさがほとほと情けない。

 

9月2日(金曜) 深夜

 飲み会があって帰宅。おえっ。

 泥酔してると、いつも以上にロクなことが書けないけれど、ええと、酔いつぶれてるのに帰宅途中、コンビニで「念のため」に缶ビールを買って帰ってしまう習性をなんとかしたいです。…あったら飲んじまうじゃねえか。

 そういや昨日、Go smoking に書いている連載コラムが更新されてます。

 今回のテーマは「京都・錦玉堂よもやまレポート」。京都は四条寺町にある、たいそう素敵な煙草屋さんを突撃取材してみたレポートです。

 よければご覧くださると嬉しいです。

 …うえっ。おえっ。ダメだ。

 

9月1日(木曜) 深夜

 学生時代の知り合いから突然、電話がかかってきた。

 卒業以来ずっと音沙汰のなかった人物だけに、いったい何事かと思えば、早い話が「宗教の勧誘」だった。彼の話を要約すると、おおよそ次の通りである。

 この宗教に入信すれば、悟りの境地に達して、世の中の何事もどうでもよくなるという按配らしい。

 無下に断って気を悪くされてもナンなので、ご丁寧にお断り申し上げたのだが、それでも彼はしつこく勧誘してくる。ぼくのほうも次第に忍耐の緒が切れてきて、しまいには口論みたいな会話になってしまった。

ぼく:「悪いけどオレ、信じてる宗派があるから」
相手:「それはなに?」
ぼく:「科学教。人間の意識や思考なんて生命に伴う現象にすぎないと思ってるし」
相手:「科学は人間を幸せにしないよ。科学も○○の真実に包括されるものなんだから!」
ぼく:「何を信じようが個人の勝手でしょうが。ほっといてくれよ」

 そして彼の引き続く一言で、こりゃダメだと確信するに至ったのでした。

相手:「何事も受け入れて許せるようにならなきゃダメ! 悟りを開かなきゃダメなんだって!!」

 ええとあの。「何事も受け入れて許せる」んだったら、ぼくが○○教を信じようが信じようまいが、そんなこたあどっちだっていいはずだろう。なのに「君も悟りを開かなきゃダメ」なんて言ってる時点で、自己撞着もいいところである。こんな手合いとまともにとりあっていたら莫迦が伝染る。

 …てなことをハッキリと申し上げたところ、いきなり電話を切られてしまいました。地獄に落ちて頂戴。

 


 

  2005年8月のプチ日記 

Otearai Webの表紙へ