2009年1月のプチ日記

1月31日(土曜) 深夜

 読者の方が送ってきてくださった「本日のしば漬」。

 京都・南座の横にある漬物屋さんにて見かけたとのことですが、どうなんでしょうねえこれは。

 いやまァ、どんなものでも、うっかり作りすぎることはあるだろう。「普段あまり料理をしないのに思いつきでお好み焼きを作ってみたら、とんでもない量になってしまった」「一念発起して手作りクッキーを焼いてみたら、10人家族でも食べきれない数になった」といった類はよく聞く話である。

 しかし、それはあくまでシロウトの話であって、プロが自らの商品を「うっかり作りすぎる」というのはどうなんだろう。本当はしば漬を30袋分漬けるつもりだったのが、いざ漬けてみたらうっかり70袋分になってしまってビックリ! うわー、うっかり作りすぎた!! …なんてことはよくあるんだろうか。

 それともプロというのは、意外とうっかり作りすぎてしまうものなのか。だったら、75台の発注を受けたトヨタの自動車工場が、いざ作ってみたら78台になってしまって、「うっかり作りすぎました!」と工場長が反省したりしているのか。

 そんなわけはないのであって、このしば漬はきっと「売れ残った」だけである。でもそんな風に書いたらなんとなく感じが悪くて売れなさそうだから、「作りすぎました」という表現を用いたのだ。ああ、危うくだまされるところだった!(しば漬作りすぎましたって、ションボリしてる感じが可愛らしいから許すけど)

 でもこの手法、意外といろんな商品の叩き売りに使えるかもしれませんな。すっかり茶色くなったバナナは「うっかり輸入しすぎました!」、不況でCMスポット枠がさばけない放送業界は「うっかり番組作りすぎました!」の半額セールで…どやっ!! 

 

1月30日(金曜) 深夜

 所用あって一年ぶりくらいにスーツを着た。

 職場ではいつも普段着ですごしているから、たまにスーツを着ると不慣れで戸惑う。

 とくに手こずるのがネクタイで、何度やっても長さが合わない。締めてみたら内側の細いほうが長くなったり、かと思えば股間の近くまで垂れ下がったりで、締め終えてから無理やり短くしようとしたら縊首して息ができなくなってしまう始末。

 それでも5分以上かけて何とか結び終えて家を飛び出したのだけど、今度は結び目の大きさが適切なのかどうかが気になって気になって。近年の「流行」など露知らないものだから、どのくらいのサイズの結び目が丁度いいのか全然分からないのだ。

 もしかして、この結び目ってモノスゴク恥ずかしいことになってたりしないんだろうか……。

 そこでとりあえず、電車に乗っているサラリーマン諸氏のネクタイを観察してみることにした。おしゃれに着こなしているサラリーマンの結び目を参考にすれば、まず大丈夫なのではないかと考えたのだ。我ながら名案である。

 …というわけで周囲のサラリーマンをさりげなく見回してみて、根本的な問題にようやく気がついた。どういうのがおしゃれな着こなしなのか、サッパリ分からないんである。そうなると当然、誰のやつを真似すればいいのかも皆目分からない。ああ、どうすりゃいいんだ!

 でもよく考えると、それ以前にスーツとネクタイそのものが恥ずかしい代物だったかもしれません。買ったの10年くらい前だっけ。

 

1月29日(木曜) 深夜

 本日の監視カメラ。

 いったいどこで「作動中」なんでしょうねえ。あ、グーグルの衛星写真か。

−−−

 ぼくは強迫神経症の気があって、ある特定の儀式的行動をとりたい衝動にかられることがある。

 それはたとえば、「カバンを右手に持ったら、5秒の間おいて、右手で持ったのと同じ時間だけ左手で持つ」といった非合理極まりない行為である。何のためにこんなことをするのか、我ながらまったく意味が分からないのだけれど、それでもやりたくなるのだから世話なしである。

 これをやると直後は気持ちが落ち着くものの、今度は「儀式的行動をやると気持ちが落ち着く」というのが癖になって、しばらくすると同じ儀式をやりたい衝動が一層激しくなってしまう。そうこうするうちに収拾がつかなくなったり、「5秒の間」を誰かに邪魔されると本気でへこんだりという結末になるのがオチなので、こういう強迫行動は極力行わないよう、数年前から意識して気をつけていた。

 強迫行動を我慢すると、その直後はちょっと落ち着かないものの、10分も経てばどうでもよくなっているんである。

 よし、この調子だ! 「強迫行動は行わない、強迫行動は行わない」。このように心の中で繰りかえすことによって、カバンの左右を均等に持ち替えるなどといった非合理な行為は一切することなく、平穏無事な日常を送れるようになっていたわけでありますが。

 先日、いつものように強迫衝動が現れて、いつものように「強迫行動は行わない、強迫行動は行わない」と心の中でつぶやこうとしたら、その矢先に同僚が話しかけてきて。心の中でのつぶやきが「強迫行動は行わ」で中断されてしまってたものだから、さァ大変! 

 「ちゃんといつも通り、心の中でつぶやき直さなくては!」と躍起になりかけている自分に気づいて唖然としたのでありました。あ、これって……。

 「強迫行動は行わない、強迫行動は行わない」と心の中でつぶやかねばならない、という強迫行動。もはや自分に失笑するしかないですな。うふふっ。

 

1月28日(水曜) 深夜

 仕事帰りに食材を買うのが毎日の楽しみという、相当もっさりとした日々が続いておりますが。

 食料品コーナーの最大の楽しみは、「安売りされている食材たちをいかに上手く組み合わせて旨い料理を作るか」というパズル感覚に尽きるのだけれど、実はもうひとつ楽しみがある。それは、他の客が買っているモノを観察することである。

 ぼくの場合、買うのはたいてい肉類+野菜という組み合わせで、そこに適宜、特売のホールトマトやチーズ、たまに気が向けば果物などを加えていくというスタイルである。だからカートの中の雰囲気は、いつも今ひとつ変わり映えがしない。

 しかし他の客のカートを見てみると、思いもよらないものが詰め込んであって、「うわー、こういうのを買うっていう発想があるんだ!」と思わず感心してしまったりする。自分にないパターンというのは、見るだけで新鮮な気分にさせられるのだ。

 ちなみに今までで、自分では絶対買わない取り合わだなァと印象に残っている例としては、

 …きりがないのでこの辺にしておくが、こんなモン自分じゃあ絶対に買わない! というカートの中身を見ると、いったいどうやって調理されるんだろうと気になって気になって平常心を失い、そのままストーキングして最後を見届けたいような衝動にかられるのでありました。

 ちなみに、ぼくの昨日の買い物は、鶏肉+カブ+しめじ+えのき茸+特売の生クリーム。すこぶる普通です(詳しくは本日の貧乏レシピにて)。

 

1月27日(火曜) 夜

 本日のお習字です。京都は北野天満宮にて。

「幼年」部門に堂々と張り出されていた一枚。数字のゼロを書きたかったのか、それともお母さんの似顔絵か。どうしてコレを出品したのかが気になるところです。
 
なんと書いてあるのか分かりそうで分からないもどかしさ。「ねえ」か「ぬえ」か? 子どもが「ぬえ」(鵺)なんて書いてたら薄気味悪いけれど、どんなオトナに育つかちょっと楽しみですな。
 
うし、うし、うし、うし……。ぜーんぶ「うし」。掲示板でこれをやると荒らしになるけれど、お習字なら大丈夫。でも、こういうのを見てると、平仮名でもゲシュタルト崩壊してきますねえ。

 中学生の頃、書初めの宿題で奇をてらって「大道芸人」だの「原子力発電所」だの書いていたことをふと思い出して、本気で赤面しております。あの書初めが教室に張り出されて、「ああ、オレって個性的や…」とか思って悦に入ってたんだ。「希望の春」とか書いてる同級生をバカにしてたんだ。

 中学生の頃にいいと思ってやってたコトって、ことごとく人生で一番恥ずかしい。

 そういや当時、かばんに自分で"METALLICA"ってサインしてたこと、缶ペンケースにアニエスベーのタグ(靴下についてた)を貼り付けていたこと等々、芋づる式に……。うわああー、やめてくれえ自分! 死んでしまうー!!

 

1月26日(月曜) 深夜

 週末、京都駅界隈で飲み歩いていたとき、たまたま入った居酒屋がいい感じだった。

 どんな料理も店員が目の前で作ってくれるから楽しいし、ワインや焼酎がすべて380円と安いのも嬉しい。店内の雰囲気は過剰な趣向に走りすぎることなく簡素ながら清潔感にあふれているし、BGMも騒々しくなくてちょうどいい。こういう「いい店」に当たると自ずと上機嫌になってくる。

 というわけで、少々テンション高めに酔っ払いながら店内の写真などパシャパシャ撮っていたら、店員が話しかけてきたのだった。

 「お客さん、ご旅行で来られてるんですか?」
 「ええっと、ええ、そうなんです。よく分かりましたねえ」
 「写真とかたくさん撮ってはりますし、ご旅行かなァと。ちなみに、どちらから?」
 「沖縄からです」
 「おお、こりゃまた遠くからいらしたんですねー!」
 「いやいや、飛行機だと結構すぐですよ」

 機嫌よく酔っ払うと意味のないウソをつきたくなる、という生来の悪癖がついつい頭をもたげてしまったのだ。で、その後も「京都って寒いですねー」だの「沖縄にはこういういい店があまりなくって」だの、これまたテキトーな会話を並べたてて。

 そして最後は、「もし京都に来ることがあったら、また来ますね!」と調子よく見えを切って帰宅したわけでありますが。

 翌朝、「やってもうた!」と激しく後悔した。

 せっかく見つけた近所の「いい店」なのに、沖縄から来たなんてウソをついた手前、当面はもう行けないではないか。これで月に3回とか足を運び続けたら、いったい何者だと訝られることだろう。いくら旅行が好きだといっても、月に3回も沖縄から京都に旅するなど尋常ではない。

 35歳にもなって酔っ払うと後先考えずに行動してしまう浅はかさを、何とかしたいと本気で考えておる昨今であります。

 

1月23日(金曜) 深夜

 先日、職場がらみの研修会に参加した。

 6人一組でグループとなって、その中からリーダーを1人選んで司会・進行をおこなっていくという流れになったのだけれど、こういうとき誰もリーダーをやりたがらないのが日本人の慎ましやかなところである。

 案の定というべきか、いつまで経ってもリーダーが決まらないまま沈黙が続きかけていたそのとき。会話の口火を切ったのは参加者のAさんだった。

 「冒頭の自己紹介では、BさんとCさんが管理職をしておられて、リーダーシップを養うのが今回の研修に参加した目的だとおっしゃってましたよね? でしたら今回は、BさんとCさんが話し合われて、どちらかがリーダをやってみられるのがいいと思うんですが、皆さんのご意見はどうですか?」

 そして数分後、リーダーは無事Bさんに決まったのでした。本当のリーダーはどう考えてもAさんだ。

 

1月22日(木曜) 深夜

 社員食堂の日替わりランチの汁物がぜんざい(お汁粉)だったので驚いた。

 今の会社に就職して8年近くになるが、これまでランチの汁物といえば味噌汁か澄まし汁と決まっていた。それが突然ぜんざいになったのだから、驚くなというほうが無理である。いったい何があったというのだ!? 

 …というわけで、眼前のぜんざいを囲みながら同僚数人で話し合っていたわけですが。

 「なんか不自然だよねこれ。おかずが焼き魚だったら、ふつう味噌汁でしょ」
 「うんうん、きっと業者の事情があるんやで」
 「そういや1月15日って、あずき粥の日やんね?」
 「あ、そうか! なんかのイベントであずき粥出して、そのあずきが余ったとか」
 「どうせ缶詰のあずき使ったんだろうし。そうかァ、開封して一週間か……」
 「そろそろ使わなきゃヤバいってことで急きょ、ぜんざいにしたんやと思う」
 「でも日替わりランチのメニューって、一週間ぶん前もって掲示されてるよね?」
 「よし、オレ見てくるわ」<小走りで張り紙を見に行く>
 「どうだった?」
 「ぜんざいって書いてあったけど…なんか、紙の色が白いんだよね」
 「それってぜったい改ざんしたんだよ! 今日の朝とかに印刷しなおしてさ」
 「突然のぜんざい登場で、一週間前があずき粥の日、そんでメニューの張り紙が妙に白い……」
 「すごい符合だよこれ! 点と点がつながって線になった!!」
 「業者の陰謀だよっ!!」

 点と点がつながったというより、あらかじめ想定している線に点をねじ込んでいるだけだったことに気づいたのは、昼食を食べ終えた後のことだった (そもそも印刷したばかりの紙が妙に白いことなど当たり前である)。

 というのも、義憤にかられて調理場のおばさんに詰め寄ってみたところ、拍子抜けするような返事が返ってきたのだ。

 「今日のぜんざいはデザートの甘味なんですよ。でもぜんざいってお椀使うから、味噌汁も出すとなるとお椀が足りなくなっちゃうもんで」
 「味噌汁楽しみにしてくれてたんだったらゴメンねえ。でもかわりに、おかず一品多くしてるでしょ」

 このように説明されても、「陰謀が露呈したらマズいから口裏合わせてるだけやで!」などと最後まで言い張っていた馬鹿がひとり。

 はい、小生です。

−−−

  さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「たばこの吸いかた人それぞれ」。 同じたばこを吸うにも、せかせか吸う人、ゆっくり吸う人などいろいろおられますが、そのあたりの事情について愚考してみました。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

1月20日(火曜) 深夜

 オバマさん就任のニュースと、小浜市の皆さんが歓喜してお祭り騒ぎのニュース。

 「お祝いしたい気持ちに満ちているけど、その対象が見つからないんだ!」という人って、実はとても多いのかもしれませんな。

 とりあえず小浜市の皆さん、おめでとうございます! クリントンさんも要職についたから、栗きんとん業界の皆さんもパーティーしよう!!

−−−

 本日のガムテープ。

 これだけガムテープ貼るのに、一体どれだけの労力が費やされたことだろう。もしかすると、ベニヤ板を張り替えるよりもずっと大変だったかもしれない。

 以前、自宅でたばこを切らしたときのことをふと思い出した。徒歩10分のコンビニまで行くのが面倒で、シケモクをほぐして一本のたばこに仕立てる作業に取り組んでみたら、20分以上かかってしまったのだった。おまけに出来上がったのは、まずいシケモク一本だし。

 その場しのぎで乗り切ろうとするエネルギーって、実はすごいんだなァと感心すること多々。

 

1月19日(月曜) 深夜

 携帯電話を買い替えるつもりでショップに行った。電池の持ちが異様に悪くなってきたのだ。

 まったく使わなくても丸一日持たないから、前日の晩に充電して家を出たところで、翌日の夕方には使えなくなってしまう。ケータイとはこういうものだ、と割り切ってしまえばとくに不便はないのだけれど、去年までは一度充電すれば2日間ほど使えていただけに、どうしても生活にダウングレード感が出てしまう。人はきっとダウングレードに対する耐性が弱い生き物なのだろう。

 おまけに、いま使っている携帯はバッテリーが微妙に膨らんできていて、なにやら危なっかしい雰囲気を醸し出している。そういや去年、「バッテリーに不具合があって火を噴くかもしれないから至急交換してください」という通知がメーカーから来ていたのだが、当時はまったく問題なく使えていたから、面倒くさくてそのままにしていたのだった。

 というわけで、新しい機種を買うぞ! と意気込んでショップに出向き、かくかくしかじかの理由で機種変更しようと考えているのですという旨を伝えたところ、ぼくの携帯電話を見た店員が一言。

 「このバッテリー、交換してくださいという郵便をお送りさせていただいたはずですが…交換なさいましたですか?」

 今さらウソをついても仕方ないので、していませんと正直に答えると店員、「バッテリーに問題があったことは確かに当方のミスやけれども、無償で交換させていただきますって通知したにもかかわらず無視したのは アンタが悪いんちゃうんかい。ま、今からでも無償で交換したるってメーカー殿がおっしゃっているから、今回はありがたく思いたまえ!」みたいな趣旨のことを、もう少し丁寧な感じでおっしゃってくださって。謝罪しながら相手を責めるという、なかなか高等なコミュニケーション技法を披露してもらったのでした。

 そして、持参した携帯はメーカーに送ってバッテリー交換されることとなり、手元にはショップ側が用意してくれたボロボロの代替機が。

 ぴかぴかの最新機種を入手するつもりでウキウキしていただけに、こんなものを持って帰ることになろうとは想像だにしておらず、ものすごい勢いでテンションが下落しております。ま、機種変更するためのお金が浮いたからいいんですけどね。

 

1月16日(金曜) 深夜

 職場の先輩K女史は、有能ながらも厳しい人柄で知られている。

 そんなK女史に、最近入ってきたばかりの若い女性アルバイトAさんが、あろうことか「タメ口」で喋りかけたのだった。一瞬にして凍りつく場の雰囲気。

 うわっ、もうどうなっても知らーない!!

 …と、その後の展開をおそるおそる見守っていたところ、K女史は意外にも笑顔でAさんに応じていたので驚いた。えっ? 一体どういうわけ!?

 しばらく経ってからK女史に、「あんな無礼なバイトの子、いいんですか?」と事情を訊いてみたら理由が分かった。

 「だってAさん、入ってきたばかりでしょ。きっと私が自分と同い年か年下だと思って、タメ口になったんよ。私って若く見られるんかなァ」

 こういうお方は、この先なにがあっても、ノイローゼになったりされないことでしょう。感服です。

 

1月15日(木曜) 深夜

 アトピーの薬をもらうため、数ヶ月〜半年に一度くらいの頻度で近所の皮膚科に行っている。

 いつも使っている軟膏がなくなったら同じものを処方してもらうだけなのだが、医者のほうは毎回、「今日は一体どないしたんや!?」とすごい勢いで心配してくれる。で、「ええと、いつもの軟膏をお願いしたいんですけど…」と答えると、拍子抜けしたような表情で「それだけか?」と訊かれるのも毎回同じ。

 こんな風に言われると、「それだけです」と答えるのがなんとなく申し訳ない気がしてくるんである。医者だっていろいろ治療したいだろうに、いつも同じ薬を機械的に出すだけでは、やりがいを感じられないのではないか。

 それでつい、手土産のつもりで、どうでもいい症状を付け加えしまう。「あ、それと…そうそう、手の爪が乾燥するんです」とかなんとか。すると医者は、「ちょっと見せてみぃ!」と言って丁寧に診たうえで、「こら大丈夫やわ!」などと言ってくれる。で、「ありがとうございます、安心しました!」とぼく。

 しかし考えてみれば、医者への手土産が「手の爪の乾燥」である。我ながらショボい手土産だなァと呆るけれど、これが精一杯なんです先生。

−−−

 本日のフルコース。マクドナルドさんも、ちょっと大きく出ましたですね。

  「明日の朝ごはんはフルコースだからね!」と言われて、翌朝これが一個出てきたらどんな気持ちになるだろう。ぼくもオトナだから気丈に振舞うとは思うけれど、内心かなりションボリしてしまいそうだ。もしかすると、しばらく経ってから漠然とした気分の落ち込みがやってくるかもしれない。

 そういや小学生の頃、ハンバーガーを分解して、パン+ハンバーグ+サラダという定食スタイルで食べていたのを思い出した。フルコースって、要するにそういうことなのか? マフィン(前菜)+目玉焼き(卵料理)+ハンバーガー(肉料理)+チーズ(デザート)。

 

1月13日(火曜) 深夜

 本日の駐車場。

 強調するために赤文字で書かれた文字だけが経年変化で褪色した結果、大切な部分だけが読めなくなっている。よくあるパターンだけれど、見るたびに思わず笑ってしまう。意図とは正反対の結果になってしまっているのがマヌケで可笑しい。

 それにしてもこの看板、いったい何て書いてあったんだろう? なにしろ「他車の○○を○○、管理部」である。これだけじゃあテンで何だか分からない。

 そこで今回は、乏しい知恵を振りしぼって、空白に入る単語を考えてみました。

ここは管理部専用の駐車場であるから、駐車するケシカラン他車は徹底的に懲らしめなければなりません。こんな看板が出ていたら、きっと他車は駐車しないはず。
 
もしかすると教訓が書かれていたのかもしれません。人のフリみて我がフリ直せと言われる通り、他車の恥部を知って我が恥部を直すと。ところで、他車の恥部って何なんでしょうねえ。
 
あるいは戦意向上の凱旋看板とか。「他車の高級カーナビを見て、君たちもいつかこんなナビを付けられるようなお金持ちになってくれよ」というわけである。誠にげんなりするでしょうねえ。
 
ここまでくると、もはや「当たり屋」みたいな雰囲気ですが、それだけに誰も駐車しようとはしないことでしょう。おそらく、「兄ちゃん何さらしてくれとんねん!?」とか言われて半泣きになります。
 
でもきっと、真実は恐ろしく当たり前のメッセージかもしれません。他車の車輪を取るのはいけないことです。ダメなことはダメ、当たり前のことこそ大切なのです。

 …実を申しますと、近くで見たら元の文字の跡をうっすら判読できてました。正解は「他車の駐車を禁止」です。へえ。

 

1月12日(月曜) 深夜

 大阪は鶴橋で飲んだくれておりました。

鶴橋といえばコリアンタウン、そしてキムチ。ここのキムチを食べると、スーパーとかで売ってるやつはキムチと思えなくなります。いつも1kgくらいまとめ買いして帰る。
 
赤外線いか焼。いったい何かと思えば、赤外線で焼いてあるという、そのまんまのことでした。でも、なんとなく宇宙戦争を連想するのはどうしてだろう。
 
自販機がかわいそうなことになってました。おそらく酔っ払いが体当たりとかしたんでしょう。でも缶ジュースの見本って、こんなぺらぺらだったんですねえ。

 今夜は鶴橋のキムチで、カニ入りキムチ鍋を作ったら美味かった。明日は豚キムチ、明後日はキムチ炒飯、明々後日はキムチお好み焼きの予定。

 

1月10日(土曜) 深夜

 一度でいいから言ってみたいセリフのひとつに「チェックメイト!」というのがある。

 外国映画の主人公が悪者を追いつめたときなんかに、微笑をまじえながら言うような例のヤツである。

 ちなみにこれを日本語でやると、「王手!」と言わなければならないことになり、途端にマヌケな感じになってしまう。凶悪犯を追いつめた刑事がいきなり「王手!」なんて言っても、ちっとも格好良くない。これでは単なるコメディーだから、やはり「チェックメイト!」でないといけないのだ。

 …というわけで実生活においても、「チェックメイト!」を口にするべく虎視眈々と狙っているのだけれど、一向にそういう機会に恵まれない。

 そういや本日、同僚から「名倉さんの趣味って何なんですか?」と訊かれて、返答に窮したあげく、

 ぼく:「うーん、最近は料理作るのですかねえ」
 同僚:「へー。どんな料理作るんですか?」
 ぼく:「ええっと、いろいろですけど」
 同僚:「じゃあ得意料理は?」
 ぼく:「そうだなあ…チャーハンとか」
 同僚:「ププッ」(失笑)

 チャーハン作るのだって結構難しいんじゃい! と思わずキレそうになるのを抑えて、アルカイックスマイルを心がけていたのだけれど、たとえばこういうときに「チェックメイト!」と言えば、一挙に形勢逆転できるんではないか?

 ぼく:「うーん、最近は料理作るのですかねえ」
 同僚:「へー。どんな料理作るんですか?」
 ぼく:「ええっと、いろいろですけど」
 同僚:「じゃあ得意料理は?」
 ぼく:「…チェックメイト!」

 ああ、ダメだダメだ。どうひいき目に見ても、チェックメイトになってるのはぼくのほうだ。

 

1月8日(木曜) 深夜

 そういえば、正月にアップしようとして忘れていた写真をふたつほど。

 これは母のコレクション。どんなモノも何かに使えるかもしれないと思うと捨てられない母は、「底の破れたザル」と「各種貝殻」も当たり前のように捨てずに置いてました。それにしても底の破れたザル、いったい何に使うんだろう。新手の知能検査として使えるかもしれません。

 

 これは、レギュラーコーヒーの出がらし(残りかす)。親戚一同で集ったとき、みんなでコーヒーを飲んだのだが、そのあと出がらしを捨てようとしたら母いわく、「捨てるんやったらウチが持って帰るわ! もらっていいやろか?」。もちろん親戚一同、「そ、そこまで欲しいんやったらどうぞ…」と呆気にとられて。

 これにはさすがにぼくも呆れて、「こんなもん、いったい何に使うんさ?」と母に問い正したところ、「庭にまいといたら土壌がようなるんや」とのこと。ちなみに我が実家の庭には、農作物など何ひとつ植えられておらず、生えてるのは雑草のみです。

 雑草も「何かに使える」から、抜かずに生やしてあるのかもしれません。

−−− 

 さて本日、Go smoking に連載しているコラムが更新されてます。

 今回のテーマは「たばこに火をつけてもらう…その損得計算」。 ライターを忘れて他人に火を借りることになったときの損得計算について、日頃から考えているところを書いてみました。元来ぼくは非常にチマチマした人間なのですが、今回のコラムではかつてないほどに、スケールの小ささを発揮していると自負しております。

 よければご覧いただけると嬉しいです。

 

1月6日(火曜) 深夜

 年末にDVDで見た映画『潜水服は蝶の夢を見る』がとても興味深かった。

 ご存知のかたも多いと思うが、どんな作品かというとこれ、元・ELLE誌編集長のジャン=ドミニク・ボビーが「眼球筆記」によって出版した、実話に基づく同名の自叙伝を映画化したものである。

 主人公は突然の脳梗塞によって脳幹の機能が奪われた結果、視覚や聴覚、記憶、意識、知性などは全て明晰であるにもかかわらず、随意運動のほぼ全てが麻痺して失われてしまう。いわゆる「閉込め症候群」(locked in syndrome)と呼ばれる障害で、唯一可能な随意運動が「まばたき」と「上下の眼球運動」のみという、極めてシビアな状況に陥ってしまったのだ。

 それでも彼は苦心のすえ、周囲とコミュニケーションに成功する。言語聴覚士が自分の目を見つめながらアルファベットを読みあげる中、意図したところにきたら「まばたき」 で合図することによって言葉をつむぎ、とうとう自叙伝の執筆を達成したのである。そして「20万回のまばたきによって執筆された本」として著書が出版された2日後、彼はこの世を去ったのだという。

 といっても感傷や自己憐憫におぼれるばかりのおセンチ映画ではなく、つい目を背けがちな入浴介助の屈辱的なシーンや、全身麻痺になりながらも美人の胸チラやパンチラを必死で追ってしまう姿など、汚い側面も含めて実直に描かれているのが素晴らしい。また、これは主人公元来の性格なのだろうけれど、全身麻痺になっても常に世間を斜に眺め続けるシニカルな視点が実に心地よい。

 かように素晴らしい作品だったのだが、ちょっと気になったのが、「閉込め症候群」に陥ったときに残される身体機能はどういった分布をするのだろうということ。主人公の場合はそれが眼球運動だったから、「20万回のまばたきによって執筆された本」として美しく作品化できたけれど、もしも陰茎を微動させる機能だけが残されたとしたら、もっと惨めなことになっていたのではないか? 「20万回の陰茎の微動によって執筆された本」では果たしてどうだったろう。

 なにしろ己のチンコを微妙に動かすことだけが唯一のコミュニケーション手段なのだ。「もう死にたい」と表現するにもチンコを微妙に動かす、「ありがとう」と表現するにもチンコを微妙に動かす。これでは患者の精神がとても持たない。…こういうことを考えるのは不謹慎なのかもしれないけれど、なにごとも不謹慎だからといって避けて通ればいいってもんじゃあない。

 というわけで、気になって医学辞典で調べてみたところ。

 陰茎を微動させる機能だけが残ることはあり得ないことが分かって安心しました。なんとなれば、この「閉込め症候群」の障害部位は橋上部2/3の両側底部にあり、その上部にある動眼神経核と滑車神経核は損傷されないため、開閉眼と上下方向の眼球運動だけ が正常に保たれるんだそうで。

 でも世の中には、ひとつだけ運動機能が残るなら、眼球運動ではなく生殖機能だという御仁も多くいらっしゃるかもしれませんですね。
 

 

1月5日(月曜) 深夜

 スーパーで見かけた、本日のカニ。

 「ああ、お代官様!」「よいではないか。減るものでもあるまい」「ああー!」「どや、どや。 これがエエんか!?」というエロチカシーンを咄嗟に連想してしまった自分に同情を禁じえません。しかしこの表情、どう見ても悪徳お代官ではないか(…それともカニって、どれもこんな顔だったでしょうか)。

 他の客を見てみたら、この代官ガニのことなど一瞥もすることなく足早に通り過ぎていた。ううむ、なんという自制心の強さ。

 

1月4日(日曜) 深夜

 最近あまり載せてないので、久しぶりに、ここしばらくの夕食でも(貧乏レシピに載せたのは割愛してます)。

「他人クリームシチュー」
豚肉と鶏肉の両者を入れてるので、他人という次第。どんな具になるかは、どんな肉が当日半額になっているかで決まります。
 
「豚のサイコロ角煮」
豚の角煮を食べすぎると、自分の腹のぜい肉が豚っぽくなることに気づいて以来、一日一個だけというストイックな生活を送っております。
「豚の角煮丼」
角煮の残りに焼豆腐を入れて卵でとじれば、ハイ完成。豆腐にからみついた、ラードたっぷりの角煮汁がたまらない旨さです。
「エセ精進料理」
一見すると坊主の精進料理のようなチマチマさですが、ローストビーフが堂々と鎮座している時点でアウチです。アウチって使うの数年ぶり。
 
「二日目のおでん」
おでんが最も光り輝く味わいをみせるのは、やはり二日目でありましょう。大根と卵、厚揚げはぼくのベスト3おでん具です。
「ビッグオムレツ&具沢山ソース」
このオムレツ、卵4個分使って作ってます。もはや生活習慣病になるためのメニューです。ちなみにソースは、ビーフシチューを煮しめたもの。
「売春婦ピザ」
トマトとアンチョビの取り合わせって、パスタだと娼婦風(ブッタネスカ)と言われてますので、ひとひねりして売春婦ピザ。そのまんまです。
 
「ちびっこ向け非娼婦ピザ」
ピザ地って3枚セットなもんで、ひとたび購入すると続かざるを得ないんですよ。これは残り物で作った一枚。焼豚と三色野菜とマヨネーズにて。
「たまごかけピザ」
三枚目はこんな風になりました。ピザの具って、何を載せてもだいたい美味しくなる。これは生卵とピーマンとアンチョビにて。
 
「豚肉の煮しめ&煮抜き卵」
圧力鍋で作ったばかりの煮しめ豚肉。紹興酒&オイスターソースに漬け込んだ一品です。これに歯磨き粉をつけると、台無しになって不味い。
 
「ホタテのバター焼き、乾燥」
ホタテのバター焼を肴に焼酎飲んでたら、気がついたら翌朝にて。食べ残したホタテは、まるで高級食材の乾燥ホタテのようになってました。
 

 

1月2日(金曜) 深夜

 引き続き実家にいております。

祖母宅に出向いたときの正月料理。 タイの丸焼きが豪勢ですが、この数分後、みんなが一斉に箸でつついて大層かわいそうな姿になりました。
 
実家の正月料理は生活感あふれる雰囲気にて。エビの姿焼きは、手が汚れるのが嫌なのでサランラップを被せてむくのが「オレ流」です。
 
なにも考えず求肥巻を食べていたら、母が血相変えて、「この求肥巻は二種類あって、立ててあるほうが上等なんやでっ!」。 もはやどっちがどちらか分からず、食べ比べてみても皆目分からず。
 
実家のぼくの部屋にあるステレオは、こんなことになってました。一体どうしたのか母に問うと、「デパートの袋が置きにくうなってきたさかい、スピーカーまとめさせてもろたんや」とのこと。どうやらサラウンド効果よりもデパート袋のほうが大切なようで…。

 我が実家はいよいよデパート袋に占領されつつあります。実家で一番地位が高いのは、間違いなくデパート袋です。

 

1月1日(木曜) 深夜

 皆さま、明けましておめでとうございました。

 というわけで、実家に帰省しています。毎年恒例となりつつある、今年の実家でも。

一昨年に買い換えたらしい母のケータイ。「左側で(受)聴くこと!!」との張り紙に思わず瞠目する。おそらく、電話がかかってきたとき左側のボタンを押せば通話になる、ということなのだろうけれど、ビックリマークを2つもつけなくても。…ところで母さん、このケータイ、電車の中とかでも堂々と使ってるんですか? おしゃれ!!
 
これも一昨年から始まった、母の手による「食パンの袋の止め具」コレクション。いよいよ物凄い数になっているとともに、十枚ずつ束ねられて整理されていました。母によれば「いつか使えるかもしれんからなァ」とのことなんですが…。母にとってはもはや、擬似貨幣みたいな感覚になっているのではと思えてなりません。
 
同じく母によるコレクション(袋とかのクチを止める、中に細い針金が入ってるやつ)。これは昨年から本格的に始まったようで、まだ数がおとなしいのでホッとします。しかし来年にはどうなっていることか…。
 
応接間の一室には、デパートの紙袋が何百袋、いや何千袋と「備蓄」され続けています。「紙袋なんて何にでも使えるんやから、たくさんあって困ることなんてあらへん」と豪語する母ですが、こうやって一室が無駄になっている時点で…どうなんでしょうかねえ。まァ、日本政府もこれを見習って、タミフル備蓄にはげんでくださいませ。
 
そしてあろうことか、みかんの皮まで貯められていて。おそるおそる母に訊いてみたところ、「みかんは捨てるところがないんや」との名言を頂戴しました。いったい何に使うのかは、恐くて聞けないまま現在にいたっております。

 今年度も無理せずぼちぼち更新していこうと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 


 

2008年12月のプチ日記 

Otearai Webの表紙へ